神保 彰

Make Up City / CASIOPEA

大学時代は、毎日のように神保氏のドラムを聴いていた。周りの人は苦笑していたほどだったろうと思う。飽きないね〜、とよく言われた。大学時代、家人にも、当時家に下宿していた先輩方にも、そしてまた当時店をやっていた我が家に来ていたお客さんにも、ほとほと迷惑千万であったろうと思われるほどに、毎日毎日よく聴いていた。皆様、遅くなりましたが、今になってお詫びいたします。

姉貴が持っていたSuperFlightというアルバムをきっかけにカシオペアというバンドの存在、そしてクロスオーバーとかフュージョンというジャンルを知った。あの当時はレコードを買う金なんてありもせず、新聞のFMの欄からそれっぽい名前を見つけると「どんなんだろう」と聴いたりしていた。ある時カシオペアのスタジオライブ、みたいなものが載っていて、それをタイマー録音したのを覚えている。タイマーとは言っても、自分は家で見たいテレビ番組があって、それを見ながら、裏で録音しておき、まぁ面白そうだったら後で聞いてみよう、くらいの気持ちだった。

パイオニアサウンド・アプローチという番組で、その日はカシオペアのスタジオライブをFMで放送するというものだった。ここに登場したのが、まだ大学生だった神保彰氏。活きのいい演奏、なにやら派手に繰り出す演奏という第一印象だった。細かいことはまだよく分かっていなかったが、音色はTOCHIKAのスティーブ・ジョーダンと同系統だなと感じ、とにかくフレーズ繰り出しまくりのドラミングに強い興味を持った。この録音は今でもたまに聴いたりしている。

当時カシオペアとしては神保彰氏の加入後、サンダーライブを録り終えたころだったはず。そして、その後Make Up Cityが出てきて、ためらわずレコードを買う。針を落とし、Gypsy Windのピックアップ・フィルのスネアの音に直感的に「当たりだ!」と確信。あの当時から、神保氏の演奏は魅力に溢れている。ドラム小僧的な手数ドラミングという面もあるのだが、跳躍的というかなんというか、音符がぷりぷりしていたりペッタンペッタンと気持ちの良い指圧感みたいなものがあって、ああいう表現はなかなか得られないものだと思う。その後、ハーヴィー・メイソンのプロデュースなども経て、神保氏のドラミングもいわゆるメインストリームのスタイルにはなっていくのだが、あの当時の演奏を聴いてこその神保氏ではないかと思うほどだ。

その後、高校生活も終わりに近付き、理系で電子工学をやりたいと思っていた気持ちもどこへやら、バンドに誘われドラムにはまり、なし崩しに家から歩いて数分の獨協大学を受験。合格発表の前日に、築地中央会館で見たのがライブ・アルバム「MINT JAMS」のための演奏だった。このライブはなんと無料で、平塚徳明という、現在はイラストレーターをやっている友人と前の日から並んで、なんと整理券一番をゲット。しかし、3月でまだ寒かった頃で、夜通し外で座り込んでいた為に風邪をひき、しかも会場に入ると、整理券一番の人は前列の一番端っこ(笑)しかし、初めて生で見た神保氏の演奏に、ライブが始まったとたんに風邪も吹き飛び、ただただ聞き惚れるばかりであった。いやしかし、こうやって書いてみるとホントにミーハー。

あの頃って、まだレコードでしたか...。

入場券です。これが一番先頭のものでした。


神保彰というドラマーは、ドラムソロとか叩きながら、声を出すというか歌うことがあったようだ。そのせいか、フレーズの流れがとても音楽的で、ただパワーを見せ付けるとか、音数をどうの、というものではなく、ストーリーを感じさせるところが好きである。無邪気さとか、屈託の無い明るさと、辛抱強さとか信頼感が合致したドラミングといえばいいだろうか。グリップもセッティングもある意味特殊であり、個性的ではあるが、これほどにドラムの楽しさ、ビートの楽しさを感じさせるドラマーは私の中では数えるほどしかいない。

神保氏とは、ロスの楽器屋で偶然遭遇したことがある。あとは、菅沼孝三氏を訪ねて楽屋に行った時に、神保さんに紹介してもらったこともあった。しかし、20年近く経って、最近ようやく雑誌のインタビューで直接話をして、今までどれだけ神保氏を聴いてきたかを少しだけ伝えることができた。ま、ミーハー極まれりというところだが、なんとも嬉しかった。

ヤマハ渋谷アブソリュートショップにて

( 2005/04/13 )