モノのデザイン

モノの出で立ちには、子供の頃から興味がある。誰でもそうだと思うけれど、子供の頃にはカッコイイおもちゃだとか、ワクワクするおもちゃ、そんなものから始まって、道具、家電、車、服飾、インテリアなどいろいろなモノを取捨選択している。価値観は多様であるから、一概にカッコイイとか便利だとか、ようするに「気に入る」というものは定義しづらく、人それぞれであったり、モノの分野によったり、そのときの自分の状態などによっても違っているとは思う。

ただ、モノの出で立ちには、そのモノの存在意義や利用価値に基づいた形というものがあって、そうした「機能」がうまいこと「形」として昇華されたものを見ると「これっていいデザインだなぁ」と思う。

日本でも、最近は家電や車など、単なる見た目ではなく、デザインにも労力をかけているものが増えてきたように思うけれど、企業が利益をあげるための商品においてようやくそうなってきているのだと感じる。ただ、実はデザインっていうものは商品だけでなく、たとえば道路をどう作るのか、街をどう作るのか、学校はどうあるべきなのか、食生活はどうあるべきなのか、ひいては人間の生活をどう作るのか、地球上でどう暮らしていくのか...そんなこともまたデザインなのではないのかなと思う。

今の日本をデザインしているのは誰なのか。そしてそれはデザインなのか、それとも数字をおっかけた経済活動なのか...。デザインの根底にある「人間の叡智や創造性」に価値を感じる国民でいることは難しいことなのだろうか。

面白くてセンスがあって使いやすくてちょっとリッチなモノ達に囲まれて生活したい時期もあった。無論そうであることにこしたことはないのだが、最近はモノを見ていると、もっと根源として「日本はどういう国なのか」を考えてみたりする。素人文章丸出しではあるけれど、こうして書いてみると、ようするに私はモノのデザインを通して自分の生活を見直したり、アイデアを投入したり、インスピレーションが与えられることが好きなようであります。

( 2005/12/03 )