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2005年06月14日 マナー
2005/06/14
今日は、朝はやや肌寒かった。昼間はそれなりに暑くなり、夕方以降は緑の匂いを含んだような、秋のような風の匂いがしました。とてもきもちがよかったな〜。
しかし、最近外に出ると、いろいろなものが見えてくる。
電車の優先席に座りながら携帯メールを打つオネーチャン
優先席に座ってデッカイ声で馬鹿話している私立中学生&小学生
列を無視し降りる人もいるっちゅうに割り込んで席をとるオバチャン
鼻がまがるほどの香水をつけたオニーチャンとオネーチャン
世界中のストレスを背負ったような顔してタバコ吸う大人
満員電車でしきりに直立海老ぞり姿勢を保つ筋肉馬鹿サラリーマン
グラサンしながらガン飛ばしてるオニーチャン
みちいっぱいに広がって歩くお仲間達
スーツ着てるが中身はちっとも紳士でない男
イライラをまき散らして走る下品なベンツと低能なトラック
いやしかし、そういうのを見ていながら何も言わない自分も悪いと思いつつ、こんなことを考えてみた。最近、気配というものを感じ取ることができない人が多い、という話を聞くことが多い。そういえば、私の人生は言葉では説明しづらい「何か」に突き動かされていることが多い。ひょっとしたら教育による洗脳なのかもしれないが、「これはヤバイかも」「これはやっちゃいけないとわかっているが、こうしてみよう...」「こんなレベルではまだまだだ...」というように、意志決定をする際に、なにかしら判断の基準や障壁、周囲の気配のようなものがあって、それに対して自己葛藤しながら行動に出る。ときどき、それが物事の進行を妨げる場合もあるけれども、概ねそんな稟議を通ってから物事に着手する。これってただの臆病とも言えるし、理想に対して自分を戒める気持ちともいえる。倫理観とか道徳観とか価値観ってものが、そうした「何か」につながっていくんだろうなぁ。あぁ、なんだかわからなくなってきた。要するに「気配を感じる」とか「自制心」ということをアテにすることはもはや無理、と。そういうことでんがな。
儂もよく要らんカウントを入れて矢堀に怒られてるからなぁ。気配を感じる力が無いのは自分なのだが(笑)まずは自分が広い意味でアンテナを広げて豊かな感受性で気配を感じるようにならなくては。よくわからん日記だ(笑)
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