makito's voice

2007年04月15日
単旋律とか単色とか濃淡とか密度とか

  • ドラマガの記事の今後について考えながら、そういえばスネア一個とかバスドラムだけ含むとかグランカッサみたいに手で叩くとか、ハイハット一組だけとかで練習するってのは、個人的にもの凄くいろいろ練習したり試したことがあって、それを考えていたら、豊橋の賢人がSNSの日記にそんなことを書いたりしていてヤベーと思った。いや、別にそんなこと、おそらく誰でもやってるんだろうけど、なんでこんなタイミングに、と思い、来月のネタは違うことにしてみたり(笑)
  • マックが登場した頃、画面がモノクロだったけれども、それが非常に魅力的だったという記憶がある。モノクロなのに画面の情報量は整理されていたし、Mac IIが出てカラーになったあたりから、ちょっと白けた気持ちを持ったりもしていた。水墨画とかを見ていると、単色グラデーションの世界の奥深さを感じさせられるが、たとえばブラシの演奏とかって共通点があるなと思ったり。ポリとか多重レイヤーのおもしろさとかカラフルさってのが横に広がるとすれば、グラデーションってのは縦の広がりとか奥行きっていうのを感じやすい。
  • そんなことを思っていたら、Yahooニュースにこんなものが。
     色鉛筆で単に「塗り絵」をする行為自体には、個人差にもあり、必ずしも前頭前野を活性化させる行為とはいえないことが分かった。一方、ぼかしなどの技法や配色、色の濃淡に工夫することで、大きく脳が活性化することが分かったという。特に、鉛筆によるデッサンのように、1色だけで塗り分けるというテクニックを用いると脳がさらに活性化する。鉛筆で絵に濃淡を付ける細かい作業が脳の活性化に“効く”——というわけだ。(2007.04.15記事より抜粋)
  • ドラムセットを練習するとき、自分は、ほぼかならず各楽器、各手足が鳴らす楽器に濃淡を付けたいと感じている。というより、音楽を聴いていると、実際の演奏からそれを感じてしまうし。初期の電子ドラムを叩いたときのつまらなさは、この濃淡の変化が乏しいことだ。また、入門者や初心者がドラムを叩くと、この濃淡が少ない事が多い。てか濃淡が少ないとイカしてないなと思うことが多い。無論、ある意味わざと濃淡を無くすことも表現としてはあるし、それが魅力的な場合ももちろんあるけれど、バスドラムとスネアとハイハットを組み合わせればリズムパターンになる、みたいな言い方って、これは塗り絵的なのかもしれない。そういう意味でいうと、パターン練習をした後の虚しさって、塗り絵を塗り終わった後のつまらなさに似ているのかもしれない。肉体的な楽器演奏法トレーニングとしてはある成果をあげているにも関わらず、脳に刺激がないのかもしれない。
  • 非常に短絡的に言ってしまうと、結局は脳みそに刺激を受ける音楽が好き、練習が空き、もっと端的には脳が活性化する作用を一度体験したことで、持続的に欲求を欲している、軽い中毒的な状態なのかもしれないなー。音楽に限らず人間が興味を持つというのは、食物であれ視覚的刺激であれ聴覚的刺激であれ理屈的刺激であれ、その人間が活性化するとかなんちゃらホルモンが分泌されるとかいう状態を脳は知っていて、生きるためにその刺激を欲しがっているではないか。音楽を聴くとやる気が出る、これって不思議なことだ。食物の摂取ならば、なんとなくまだ物理的なエネルギー保存の法則とか、等価と考える物の移動があるけれども、音楽っていうのは、空気の振動だけとも言える。鼓膜マッサージ。
  • まぁあれだ、いろいろ答えは見え隠れしているが、どうやったら脳が刺激されるのか、これが一番大事な知識であり、テクニックなのかもしれないなぁ。以前は手数で刺激され、今は何で刺激されるのか...。あぁ、眠くなってきた。自分の考えていることがもっとも脳を刺激してねーや。やっぱこういう理屈はとしちゃんに任せるか。
  • 音楽を中毒的に聴く人には、職業的な演奏は向いていないんじゃないかという気持ちが出てきた。結局自分がスカッとするためにやってしまうわけだし。むむむ。それと同時に、結局は脳みそが刺激を受けることに注力してりゃいいんじゃねぇのかな。村上隆が言うところの発想重視ってのはそういうところなのかもしらん。ただ、脳の刺激って個人差や経験値による差が大きそうだ。それを診断して分類することができれば、教育とかってもっとスムースになるのかも。