makito's voice

2008年08月10日
伊賀丸柱と土楽窯

  • 伊賀市丸柱。素晴らしい土地だった。田園風景が広がり、やわらかな空気が流れ、山の木々や田の香りに満ちて道端に花が咲きトンボが飛ぶ。暑いが心地よく、汗をかくことが気持ちよい。
  • 伊勢市からJR紀州本線で松阪、そして近鉄線で伊賀神戸まで。伊賀鉄道に乗り換えると景色もグッと変わってくる。伊賀上野に到着すると、駅周辺は閑散としていた。同じ列車に乗っていた客達は、駅前に迎えに来た車に乗り込んでいく。はて、なにか取り残されたような感じだ。まぁとりあえずのんびり行こう。さて、駅員さんに「丸柱にはどうやったら行けますか」と聞くと、ちょっと困った顔をした。「丸柱はちょっと行きにくいねぇ。今バスも行ってないからねぇ」と言う。窯の多い場所だし、それなりに動きがあるのかと思っていたが、どうやら検討違いだったようだ。「諏訪あたりまで行くバスがあるけど...あぁあと3分で出るからまずそれに乗ってみるしかないね...」伊賀上野駅から丸柱までは結構距離がある筈だ。タクシーで行くのは結構金額もかかるだろう。バスで途中まで行って、そこからタクシーかなと。

    伊賀神戸の駅です。良い景色ですなー。

    伊賀神戸から伊賀鉄道に乗り換えです。

    終点の伊賀上野駅。ニンニン。

    駅の外側はなにやら静かな気配...。

    観光案内図とかはあるのですが...。

    駅前はシーンとしてます。

  • ところがバスに乗ってみると、街の景色はその考えと反対な方向になっていった。おもしろいことに、なんというか人里離れて活気がなくなるというのではなく、なんだか豊かな風合いになっていくのだが、車や店の気配が無くなっていく。この感覚は丸柱に着いた時にもっと感じることになる。「丸柱はまだまだひと山ふた山行ったところだよ。まぁ3〜4キロくらいかな。ここいらの子供は小学校に歩いて通学するのもおるからね。」とバスの運転手さんに教えられる。窯のあたりまで行けばタクシーとかいますかねと聞くと「ここいらはタクシーなんて全然いないから、とにかく歩いて行って歩いて帰ってくるしかないね」と即答。くねくねと曲がる山道を走りながら、どうしようかと考えた。確かにこの様子だと本当に山の中に来たくらいに思った方が良さそうだ。このバスにしろ、途中の諏訪下出という場所で降りれば、次が来るのは2時間後。そしてその次は4時間後。ただ待ってるわけにも行かないが、体調は決して良い方ではないし。

    駅前からバスに乗ってすぐに気持ちよい景色が広がります。

  • 「この道をとにかくどんどん行けば丸柱だから。」と言われて終点でバスを降りる。景色が良い。バス停で時刻表を確認し、デジカメに撮る。そしてとにかく歩き出す。朝はホテルから伊勢市の駅まで歩くのもつらかったが、歩いてみると体調はそれほど悪くなかった。木々の香りが気持ちいい。とにかく歩く。昨日は自転車だったが、今日は歩いている。ふとGoogle Earthが頭に浮かんだ。東京の自分の部屋から、なんどかこのあたりを見ていたことがある。自分は今、自分という小さな単位で、自分の足で歩いている。地球全体を俯瞰する画像をみていたかと思えば、今はひとり歩いている。自分は地球の小さな点のようなもので、別段大きな使命を持つわけでもなく、ただもぞもぞと自分が行きたいと思った場所へ、別段ツールを利用するでもなく歩いている。それが気持ち良い。気がつけば合理性も計画性も自分から捨てている。しかしそのペースで歩いた時、ここにいるという実感が強く出てくる。これでいいんだなー。

    「ここを歩いていけば着くから!」とバスの運ちゃん。

    バス停の周辺も良い眺めです。

    さて歩き始めています。

    こういう道は意外と涼しいですね。

    車だと味わえないテンポです。

    そろそろ小学校。歩き始めて700m地点。あっという間です。

  • ほどなく丸柱小学校に到着。高台に学校があり、道路に面して大きな広場がある。そこでちょっと休憩して着替えなど。暑いけれど、風が心地よい。また歩く。田んぼや小さな畑があるなと思うと、家並みが見え始めてくる。これが丸柱なんだな。あぁいいところだ。田んぼのあぜ道を歩いてみる。人間はほんのちょっと立ち位置を変えるだけでもこんなに視点が変わる。あぁ気持ちいい。もし自分が何日も歩いてここにたどり着いたら、さらに美しく見えただろう。422号線と674号線がぶつかる丸柱の交差点に神社があった。伊勢神宮も素晴らしい場所だが、この神社も今自分にとって最上の喜びだ。お参りしてちょっと考える。このまままた戻れば、次のバスに間にあう。しかし腹も減った。お寿司屋さんがあった。おそらく探せば他にも軽食できるところもあるかもしれない。ただ、それよりもせっかくここまで来たのだから行ったみたいところがあった。土楽窯。
  • 小学校の通りの反対側にある広場。

    上ったり下ったり。

    丸柱の文字が出てきました。

    田んぼや畑が増えてきます。

    民家が増え集落になってきます。

    良い感じに落ち着いています。

    田んぼがいいですね。蛙や蜻蛉がいます。

    なんというか柔らかいなぁ。

    422号線と674号線の交差点にある神社。

    お参りして一休み。

  • 我が家のお気に入りの鍋は、福森雅武さんという方の土楽窯で作られたものだ。鍋を使いこむにつれてあぁこの鍋の力が凄いのだなと実感し、嫁さんが「土楽食楽」という本を見つけて来ては、へぇぇこんな人がいるんだなぁと感心させられた。そして、いつかその場所に行ってみたいと思っていた。神社から出てくると、クロネコヤマトの配達の人がいたので、道を聞いてみる。こっから1〜2キロくらいですかねぇ。まあ遠くないですよと言うので、また歩き出す。おいオッサン、飯食っといたほうがいいんじゃねぇのかとも思いつつ。
  • 土楽にはすぐに着けなかった。街の地図があって、まぁ比較的わかりやすいものだったのだが、窯もたくさんあるのでどれだかよくわからない。途中、素晴らしい民家があって、思わず玄関先に入って道を尋ねた。おばあちゃんが出てきて「どっから来たの?あらあんなところから歩いてきたの」なんて話しながら、あぁこんな家に住めたらいいなぁと。そして道を修正し、畑で作業してるオニーチャン達に「土楽はどこすか〜」と聞きながら土楽に到着。

    土楽を探しつつちょっと道を間違える。とある民家の家の前の風景。いいなー。

    中央左寄りにお兄さんがふたり。気さくに声かけてくれました。

  • 土楽窯は、植木というのか家屋周辺に活けてあるものにも気が配られていて良い雰囲気を醸し出していた。正面に回ると土楽と書いてある。あぁこれが土楽なのだな。失礼ながら敷地内に少しはいると、右手に母屋。立派な家屋で、窓はすべて開けっ放し、赤ん坊の籠が軒先にあったり、人が生きて人を育てているという気配に満ちていた。家の前は田んぼになっていて、田んぼの向こう側にお稲荷さん、母屋は山に向かっている。この日はどうやら取材が入っていたらしく、カメラマンが動いていた。敷地内に止めた車から機材を出し入れしていた。家の中も忙しそうにしている。外に出てきた女性の方と軽く「こんにちわ...」と会釈する程度だったが、まぁ周辺の写真を少し撮って他の窯へ。

    土楽窯に到着。佇まいが素晴らしいなぁ。

    看板を撮影させていただいて。

    目の前には田んぼとその向こうにお稲荷さん。出来過ぎたくらいのロケーション。

    草木の生え方も何かしら柔らかいというか。

    こういう中で子供を育てたらよかろうなぁ。

  • その後は長谷園という「かまどさん」などで有名な窯に行ってみた。ここは多少観光客が来るような場所だろうから、自動販売機やなにか食べるものもあるかもしれないと思ったのだ。ここにあったソフトドリンクの自販機に救われた。なんてことは無いアイスティー。食い物は無かった。店の人と少し会話をして、周辺の事情などを聞く。さてそうしてそろそろ戻る時間だ。だいぶへばったきたので、帰りは少し多めに時間を見た方が良いだろう。それにしても汗をかきまくった。蜂だか蠅だかなんどもブンブンと飛んできたりしたが、途中水道を借りて手や顔、そして頭から水浴びし、脚も冷やして一休み。そろそろ脚も痛くなってきたが、ほどなくバス停。バスがくるまで40分もあった。ずいぶん早く着いたな。まぁでもノンビリしよう。夕方に向けて涼しくなってきている。ベンチにひっくり返る。脚を揉む。少し寝てみる。ビールの自動販売機があるがもう使えなくなっている。中にはエビスも入っているのに...。

    長谷園という大きな窯です。

    このアイスティーうめかった〜。

    休憩しつつ備忘録を。

    長谷園のショールーム。休憩させていただいてありがとうございました〜。

    そしてまた戻ります。

    だいぶ汗臭くなってきたなぁ。

    こういう国道も日々手入れをしている人がいるのだろうなぁ。

    木っていうのは凄いなぁ。静的だけど最も動的。

    バス停が見えてきました。思ったよりも近かったし楽しく歩けました。

    自動販売機はすでに動いておらず...(笑)

  • 何もすることが無い。気持ちがよい。もう待っていれば良いのだ。5分経っても10分経っても20分経っても、ただ風が吹きトンボが飛んでいる。日は暮れて、また日が昇る。そうしたことをずっと繰り返しているのだろうなぁ。思えば、ずっと以前から車で移動するときなどに「あぁ良い景色だな」と思うような場所に立ち寄ってみたいと思っていた。特別な景観ではなくとも、山や川があったり田や畑が広がっていたり、ここに住む人はどんな人生なんだろう、というようなことを思うことが多いのだ。丸柱はまさにそういう想いを一気に晴らしてくれる場所だった。歩くというのはそれほど早いものではないが、物を見たり感じたりするにはそれでも早すぎるときもある。今回「ままならぬもの」を感じた。都会での生活、コンピューターやネットを使った生活、車やバイクに慣れた生活。ツールから離れれば、そして箱庭から外に出れば、ひとりの人間の力は小さくて弱い。しかしなぜだかそれが妙に落ち着く。そして自分は自分の脚で立っているという気持ちになるものだなぁ。

    みんなどんな暮らしなんだろう。

    良い景色だなぁ。

    お〜バスが来た。時間正確!

    1両のワンマン電車。亀山まで行きます。丸柱また来よう。今度は車で(笑)

  • 丸柱は素晴らしかった。豊かだった。それは今の自分にとってだけの物だろうし、他の人にはわからないものだろう。自分が良いと思うものと対面した時の喜びだろう。自動販売機もコンビニも無い、知り合いもいたわけではない。何もしなかった。いや、何もできなかった。自分はただ歩いただけだ。でもぶらりと歩いて豊かさを味わえた。それは自分から歩いたからだろう。伊賀上野から亀山を経由して名古屋へ。都会的な暑さに切り替わる。やはり山の居心地は良かったのだな。新幹線は自分が歩いた時間の半分で東京まであっという間に到着した。でも、その移動距離の中に豊かさはあったのか。東京駅を歩きながら「目が良くなっている」ことに気がつく。翌日の朝、わずかではあるけれど久しぶりの我が家の周辺は蝉の大合唱となっていた。あぁ丸柱にも負けない蝉たちだなぁ。少し自分の住んでいる場所が違って見える。これも目が良くなったことの作用なのかもしれない。