makito's voice

2009年03月10日
映画

  • このところ、TSUTAYAで映画を借りてきては子供が寝てからゴロゴロしながら観ている。基本的に私は映画オンチで、たまーにこうやって観ることがある。映画を観るという行為もなかなかオツだなと楽しめるようになってきた気もする。さて、「地球が静止した日」というのが観たいと嫁が言うので借りてみたが、なんだか違和感がある。調べてみたら、1950年代に作られた同タイトルのリメイク版として、キアヌ・リーヴス主演のものがあるようだが、借りてきたのは同じタイトルで違う作品だった。どうやら内容は同じようだが...。ググってみたら「地球が静止した日」「地球が静止する日」「地球の静止する日」とか出てきて、なんだかわからん。原作やら映画やらで少し邦題が違うみたい。
  • いろいろ借りた中で、「亡国のイージス」「終戦のローレライ」もあったので鑑賞。ローレライを先に観たのだが「???」の塊。原作をどんな風に演出してるんだろうと楽しみにしていたのだが...。原作のページ数や登場人物の数を考えれば、2時間程度の枠に収めることは土台無理なんだろうけど。ただ、作品としての俳優の表情作りやカメラワークなど、原作にある熱さとか緊迫感が感じられなくて、どうにもなぁ...。演出なのか脚本なのか...。パウラは萌えキャラに見えてしまうし。清永の最後なんて、あれどうなってのかな。あんなんで泣けるんかいな。フリッツが出てこないなら、清永も出てこなくて良かったんじゃないのか。まぁ戦争を背景にしつつ架空の話にしているわけだから、こういう方があくまでエンターテイメントとしてバランスが良いのかもしれないけれど...。ただ、原作の良さや、原作者が小説にかけた熱さが、企画モノの映像のニュアンスになってしまっていることが残念ではある。企画陣は頼む人を間違えたのではないか。結局一番の源流を制作の都合で駄目にしてしまっている。種まいてもらって苗木にまでしてもらったのに、結局枯らしちゃったみたいな。イージスはローレライよりも手応えはあったものの、なんというか緊迫を感じるタイミングを待たずに次の展開が来てしまうので、なんといっていいのか、あっけないという感じ。まぁしかし映像ってのは難しいんだろうなぁ。あれこれやり出せば予算ももの凄くかかるんだろうし。逆に言うと、名画と言われる作品の素晴らしさも再認識するわけで。ひょっとしてパソコンの画面で見たから、なんだか入り込みにくかったのかな...。
  • こうして書いてみると、自分が映画のことはちっともわかってないこともよくわかる。つうか、意外と映画好きなのかも。