makito's voice

2009年03月17日
夜更かし

  • 以下、クルクルパーな文章です。備忘録。
  • 昨晩は下痢で解毒されたのか、なんだか身体が軽くなって、しかも眠くならず28時まであれこれ考えていた。そういえば凝りをほぐそうとたっぷり運動したことや、そういえば花粉症の薬を飲まなかったこともあるのか。トシちゃんが著作権法案のニュースについてmixiでコメントしてるのを読みながら、あのニュースは自分も気になっていたんだよなとか思いつつ、音楽の価値とか著作権とか流通とかについて考えてしまった。何が金になるか。流通とか商売の在り方は大きく変わるのかもしれない。かつて情報の格差が大きくあったからこそ店という存在はHUBとして機能していたが、今ではネット上にショーウインドウも広告もカタログもユーザースペックも公開されている。いっそ音楽は一度金と切り離されたほうが、文化としてみれば質の良い定着を見せるかもしれない。文字にしても映像にしても、CDや書籍というパッケージに閉じこめられていたものが、自由になったとも言える。自由になるということは、流通によって決定された価格というものから解放されることか。今の段階では音楽が自由になったのではなく、あくまで音楽データのやりとりが野放しになっているだけではある。YouTubeを大容量楽曲ライブラリにするアプリを15歳が作ったというニュースがありましたな。『Muziic』http://www.muziic.com/これも凄いなと思った。まぁ今や、ちょっと曲を探すのにも、試しにYouTube見れば大抵入ってるし。ググるというよりチュブるとでもいうか...。もはやオンデマンドの無限ジャンル放送局だものなぁ。そのうちGoogleがすべての音楽を管理するようになったり、Google Radioとかいってオンデマンドサービスを始めたりして。流通が音楽を商品として価値を持たせていたことが、通用しにくいのか。いや、もっと一過性のものかもしれない。自分で探したり操作したりして如何に欲しい物に辿り着くかというところに人間の満足感の拠り所もあるし、逆になんでもいいから早く手にしたいとか、たまたまダウンロードしたら気に入ったからちゃんと買うってこともあるかもしれない。ネットを駆使する満足感のために、音楽は材料になっているだけかもしれない。今の学生達はCDは買わないし、ミュージシャンの名前も覚えない。これは、著作権とか違法コピーの問題ではなくて、音楽に対する感じ方が変わってきているのかもしれない。CD持っていても名前知らないくらいだし。屋台のタコ焼き屋のおっちゃんみたいなもんかもしれない。もちろんタコ焼きは楽しみにしていて、タコ焼き屋のおっちゃんも好きだったりするという前提で。楽しみだけど感動ではない、みたいな。絵画のオークションみたいに、買い手が値段を決めるシステムも面白いが、そのためには複製と大量頒布は邪魔になるだろう。なんでも値段付けているこの世界がぶち壊れるとか。そりゃ無いな。音楽の聴き方、求め方が変化しているだけで、たまたまネットの問題が平行して存在しているだけかもしれないし、音楽の在り方が、歴史の中で揉まれているのかなと思ってもみたり。田舎に行って里山のある風景を見ると心が和むと言う面もあるが、あの田んぼは誰のもので、あの山は誰のもので、あの川にはどっかの工場が垂れ流した廃液が流れていて...と考えると、とたんに違う見え方になる。どんどん便利になって情報も公開され、しかしすべての物は所有者がいて、値段がついている。あらゆるものが誰の物でもない、誰でも存分に使っていい空気や地球の資源のようなものを求めているのかもしれない、今までに無い公平感を求め搾取を嫌う気持ちが蔓延しているのかもしれない。いやそれも極端だな。作曲者は、自分の曲をみんなが演奏してくれたら喜ぶのか。それとも金払えと思うのか。そのうちフリーウェアの作曲者ってのが出てくるかもしんない。売ってる物より全然良いなんていう、ソフトウェアと同じ状態。ミク曲がチャートインしているのも同じことか。すでに起きている。俺の持っているチェカレリのCDは、違法コピーが蔓延すれば転売の価値は下がるが、音楽を聴くことによる感動は変わらない。でも、チェカレリを越えるドラマーが登場したら感動は無くなるかもしれない。だからといって新しいドラマーの登場を止めることはできないし、実際にはチェカレリの音楽の価値は変わるわけではなくて、何を聴きたいと思うかという自分の気持ちが変わる。そこで、その気持ちを変えさせないような手法が広告となれば、流通業者は販売の経費として広告を使う。観光地にしてしまったがために、一年中咲いている桜を開発しようというなものか。なんで人間は生きていくのにこんなに金を必要とするのだ?ま、金遣いの粗い俺が言うことじゃないな(笑)ネットがつながらなくなったらすべてはふりだしかもしれん。しかし誰かがその状況にする前に、Googleが自前の衛星で地球単位のGoogle Wifiを公開してでもネットワークを存続させるだろうか。電力にIDがついて、音楽再生に利用したら課金なんて未来も来たりして。しかしそれは、集金とか流通の意味の音楽を利用して形にされた商品の対価であって、そもそも音楽の価値を無視している。音楽の価値はCDの値段でもなく、著作権による集金とはまた別のところではないか。音楽に金銭的な価値なんてありゃしない。あるのは感動ではないのか。もしくは生活の中にある平易な楽しみ。金が生まれずとも人々の間に育まれてきたものが文化ではないか。それを商品にしたてあげたのは誰だ?しかしそれによって音楽を知った私は誰だ?要するにまとまりゃしない。資本主義の倦怠期か、もしくは反抗期か。あぁ勉強しないでこんな事書くから収集付かなくなって...。早く仕事しろ俺。