makito's voice

2009年04月26日
酔った...

  • 昨日は雨がよく降りましたね〜。レッスンの合間に神保町のICI石井スポーツ登山本店に。ぎょうさんありますなぁ。ステッキ(登山用品ではステッキとかトレッキングポールとか言うみたい)を持っておこうかと思いつつ、なんかセール品でビビっときたザックがあったのでレジに持って行くと、これサイズ合わないですよと怒られる。でいろいろ教えてもらってアレコレ悩む。あぁ春っぽい色のやつがいいのに、なんか自分の欲しいサイズにはそれが無い...。結局背負った感じが気持ちよかったMILLETにして、ついでに熊よけの鈴やらなどゲット。店内は品物が多い上に、いちいち「コレはなんだ」と気になるので目が泳ぐ。そして酔う。あぁぐったり。
  • ヤマセンのブログ、槍穂高の1〜4を読んでいろいろ思う。偉いなぁコイツ。自分もよく葛藤し酒吞んでここに書き散らして結局は寝ちゃうのだが、絶対的な人類の指針とか、未来が保証されるような施策であるとか、そういうものを求めたいと思うが、私のようなクソオヤジの頭で何かができるわけでもなく、事は複雑だ。地球上の生物が優性遺伝という形によって生き延びるようになるに至るまでに経た数々の死を考える。死ぬということが生物としての進化なのだろうと考えれば、個が生きることに固執すれば、生物の進化は止まるのか。自分が生きて何かに対面し、その対面した事実と対処が遺伝子に刻まれること、そして地球上のあらゆるものとリンクしたり乖離したりして集めた情報が遺伝子に刻まれること。いや、何億人といても、生物の進化に役立つ遺伝子情報なんて、どこかの個体にたまたま顕れる程度なのだろうけれど。んでなんだっけ。まぁ思うのは、「じゃぁ何が正解か」「何が正しいのか」というのが「エチケット」や「マナー」の根源なのかなと。自分はエチケットやマナーはその場しのぎという分類をしていて、物事の根本の解決と考えていないことが多い。ある意味対処療法とも言えるが、茶の世界のような哲学的根源的な領域もあるのかもしれない。自分の内面や行動に対する抑止力というかバランスというか。地球上で生きるマナー。人と接するエチケット。人が生きれば何かは壊れる。田畑もまた自然破壊だ。自然とは何か。人間が生きるように生きている様もある意味では自然だ。人間は選択をしたりなにかを創造しているようでいて、所詮地球から学び取って、自分がやったのだと言っている程度だ。化学物質も所詮は地球上の物質だ。しかし思う。衛星を打ち上げるほどの力を持ちながら、宇宙ゴミをまき散らしている人間。自分のウンコがどこに流れ、どう処理されているかを忘れ、自分はウンコなどしないという顔をしている人間。そんな人間の営みは、珊瑚を食い荒らすオニヒトデのようでもあり、地球を浸食するガン細胞のようでもあり、無邪気に増え続ける毒虫のようなものかもしれない。人間がそう感じるということにマナーの原点があって、それを感じないことにマナーから外れた人間の何かがある。感じるか感じないか。何かしら行動を起こさせるキッカケによって人間は動く。やり過ぎたなと思ったら戻れば良いとも。山も登り切ったらあとは下る。これから人類は下るのだ。しかしそれは人間の視点から見た下りであって、実はどこに向かっているのかもわからない。下っているようでいて、美しい沢に降り立つのかもしれない。え〜まぁ何が言いたいかというと、天気が良ければどんどん海や山に行きたいなと。
  • m's Blogも難しいお題が出てきた〜。ただ書けばいいってもんじゃない。でもおそらくどんだけ考えて整理しても、書けることは変わらないだろうという自覚。