makito's voice

2009年06月15日
言い訳

  • 人間ってのは、生きているだけで毒がある。原罪みたいなものかもしれない。それは人によって質も量も違うものだけれど、その毒を自らコントロールし、ともすればエネルギーに転換できるかどうか。ただ振りまけば、それは迷惑にもなりうるが、それよりもそれを利用する輩も生まれてくる。わたしはなにもしていないのに...いや、あなたは自らの毒に気付かず、それを垂れ流している。そしてその毒を蜜のようにすすりに来る毒虫が身の回りにいることにも気がつかない。なにもしていないのではなく、なにも気がついていないのだ。哀れだ。気がつかないといけないという強迫観念もまた毒。気がつくことも毒なのだ。気がつくひとは気がつかない人に腹を立て、気がつかない人は気がつく人の言い分を疎ましく思う。どうしようも解決はないだろう。それは哀れでもあり、可笑しさでもあり。人間は灰汁が抜けてこそ大人だ。合理主義は、毒や灰汁を封じ込める。むしろそんなものは存在しないという勢いすら持つ。しかし、人間は毒と灰汁に満ちている。それを抜けるのは自然との対峙や自分自身との対峙ではないのか。山に行く言い訳(笑)
  • 労働力と家畜。私たちは日々、ブロイラーを食べ、家畜やビニールハウスで育った野菜を食べ、人間社会の中で労働力を発揮する。しかし、いつのまにか発揮するべきものが労働力ではなく、消費力になっている。せめて家畜には夢を見させ続け、そして外界を知らずに死んでいくことへの不安を持たせないことがマナーなのだと、そのマナーを壊すなと、消費を要求される家畜は被害者的に思っている。ところで私は家畜にすらなっていない。資本主義社会の中で大した夢も見ないが、では現実を嬉々として受け入れているのか。あぁ俺ってば結構受け入れているなぁ。でも、夢を見ることも時には必要だ。少なくとも、俺の子供には、彼が自分で判断ができるようになるまでは夢をみさせてもやりたい。以上仕事をするための言い訳(笑)
  • う〜ん。書かんがための題材になってしまったなぁ。うまく書けなかった言い訳。