2009年11月08日
ここんとこ気持ちよかったこと
ここんとこ使っていたローカットの登山靴をジャブジャブ洗ってブラッシングし、陰干しして防水スプレーをかけた。うん。気持ちいい。
広場に自転車を持って行って、スポークを1本ずつ拭く。ボディの汚れはクリーナーでも使わないと落ちないなこれ。チェーンの古いグリスも拭き取って、空気を入れる。うん。気持ちいい。
グレッチ4157の打面側のラグがバカになってしまっていた。にもかかわらず本番は良い感じで鳴ってくれたが、ヘッドを外してフープやシェルを拭き、壊れたラグを外す。パーツはコマキにあるらしい。外してみたら裏ヘッドも結構ヘタっていたから交換しようかな。あぁ気持ちいい。
2009年11月18日
テニス肘?ストック肘?ドラム肘?パソコン肘?iPhone肘ぃ〜!?
もう随分前からになるのだが、左手が痺れるような感覚が時々あった。脳梗塞!とか思ったりしていたのだが、どうやら違う。で、ちょうどレッスンで張り切って一緒に叩いたりしていた時期でもあって、なんか激しく動かしすぎたのかなとか思っていた。ともすると、Macのキーボードを長年使っていたApple拡張キーボード(ADB)から変更したような時期でもあったり、机の高さが変わったような時期でもあったり、原稿の文字量が多くなってしばらく経った時期でもあったり、山登りでストック使った後に痛くなるようでもあったりと、なんだか原因がちっともわからんちー。
しかしそれが、最近朝起きると痛みがひどい。肘の尖ったところが右も左も痛いし、左は特に前腕が痛む。皿を持ち上げるような動作でも痛むし、子供を持ち上げるのはもちろん、スネアからタムに移動するにもちょっと痛みがある。で、調べてみるとテニス肘っつうのがあるのね。先輩ドラマーでもいろいろケアしている人も多く、こりゃぁなんか出ちゃったのかなと。ストレッチとかマッサージとかしていると、だいぶ良い感じ。しかし、今日電車の中でハタと気がついた。iPhone...。これ最初に使ったとき、あぁ結構重いんだなと思ったんだった。夢中になってブラウズして、気がつくと左手はずっと持ち上げているまま。しかも最近はそれで左手の指も使ってメールする。なるほどこれか...。よし、今日の日記のネタはこれだ!と思って書いている今、文章の量に比例して左手の痺れが出てきているのは...。やっぱりキーボードかっ!あちゃー!なんか考えないと!
2009年11月30日
原稿 then motion & micazo Live
重い1週間だった。連載の原稿も然る事ながら試奏がこれまたヘヴィーだった。イタリアのメーカーUFiPのシンバル。今までマニアックなドラマーにこそ知られていた存在ではあったが、これから国内でも流通が広がるだろうし、ドラマーにとって楽しみが増えるのは実に良いことだ。試奏というのは難しい。それは「音は主観だから」とか「人によって感じ方は...」「実際に使ってみないと...」「使う状況、組み合わせる楽器やスティックによって...」といろいろあるし、下手なことを言うよりも、名称、サイズ、重さ、型番、表裏の写真、カップやエッジの形状写真、レイジングやハンマリングの処理などの詳細画像と、メーカーの宣伝文句と、要するにしっかりしたカタログがあれば、その方が良いと思うのだ。ただ、えてしてメーカーのカタログはただの広告パンフレットになってしまっていることも多い。カッチョよさげなイメージ写真であったり、エンドースしているミュージシャン頼りであったり、的を得ないメーカー資料の和訳であったり。そもそもキチンとサイズや重さや厚さを載せている(個体差による誤差を含んだとしても)ものも少ない。プロが使う道具なのに。料理人が使うバーナーのカタログに火力が載ってないなんてことあるのか。ま、どんなものでも使ってみなきゃわからんと言ってしまえばね...。最近ではサイトで視聴も出来るようになっているので、やはり下手な感想を述べるくらいならばそっちを聴いてもらえば良いとも思う。店やショールームで試奏できる環境ってのも良いのだが、慣れてきたらオークションのちっさな画像で判断しちゃったりもするわけだから、実際にはそのドラマーが「欲しい」というイメージを強く持っていることは前提として、「探す場所」が存在するというのがもっとも受け手としては「燃える」のではないか。誰かがなにかを批評しているというよりは、それと対峙している姿を見て「この人は気に入らないみたいだけど、あぁそれなら自分にピッタリかも」なんていうのを見つけられる場所、もしくは情報の集合。自分もカタログや店に対して「探す場所」を求めている。秋葉原のジャンクショップさながらに、探しながら、そこにあるものを材料にしながら自分の意思がより定まっていく感覚。どう使っていこうか、なにをやろうかということが「何か」を探しながら定まっていく。こういうのを体験させてくれる楽器店は少ない。そういう意味ではアップルストアなんて、一番つまらない。でも、アップルストアはありゃ店じゃないからなー。啓蒙支所っつうか。コンピューターがそういうツールではなくなったということを表そうとしているのだろうし、その結果ツールとしては遥かに成長も遂げているし。話を戻すと、まぁ楽器店にドンキホーテみたいになれっていうことではないんだけども。
で、雑誌というのはカタログとしての良さってのがやっぱりあると思っていて、トランジスタ技術の後ろのページで秋月通商のキットやバルクのパーツを探したり、サウンド&レコーディングマガジンのサウンドハウスの広告でキャスター付き12Uのラックはどんなのがあんのやろ、なんて探したりした世代としてはね。もちろん今じゃサイトがあるんだけども、雑誌ってのはひとつのコミュニティを感じさせる。それも良い雑誌であればあるほどに、その本によって読み手の世界は無限に広がる。そういうものって今の時代はなかなか難しいのかな。広がるということのベクトルも定まらない時代なのかもしれないし、そもそも広がることがよいのか、深くなることがよいのかとも。試奏記事って言うのは、なかなかネガティヴなことは書けないと自分では思っている。まぁそこをうまく書いたり喋ったりする方法もあるのだろうけれど、さきほどのカタログ的な感じで言えば、ちょっと現実的なスペック表現というのができたら、読み手は「あぁこの棚はうちの冷蔵庫と食器棚の間にピッタリ入るじゃないの」みたいなことが出来るのではないかと思う。
で、いったいそういう表現というのはどういうものかと。それは「言葉のテント」みたいに思っていることがあって、ペグを打ってある部分を固定する→もうひとつふたつペグを打つ→そしてある方向に引っ張ってテンションをかけてやるとテントの空間ができ上がる。さぁどうぞ、こんなスペースですが気に入って頂けるかどうか...それを判断してもらう。そんな流れや比喩を文章や言葉の中に持たせたいということを自分は子供のころから持っていて、ある意味そこにばかりこだわるから薄っぺらく言い回しだらけの文章になってしまうのだが、どうにもそれが自分のオリジンなみたいなもののようだから、そこで悪戦苦闘することになる。言い回しや言葉選びが過ぎると嘘臭い。それが本当のことであっても。仕掛けを作ろうと思っているのではなく、なんか今手に持っている布の切れ端で、どうやったら屋根や空間ができるのかを考えるというか。で、やはり悪戦苦闘。嘘は書かない、誇張はしない。でも、シンバルを叩きながら「Wao!」と思っている自分の様子を伝えたい...。まぁそんなことがいつの日か出来るようになったらと思いながら、結局原稿は送信されたのであった。
そして週末には、先日急逝されたドラマー木村直樹さんの代役でmotion + ゲストMicazoさんでマルディグラへ。そもそも代役など果たせる筈もありません。そしてこんなところに日記として書くべきかどうかもわかりません。しかし、あの場所に木村さんはいらっしゃっていたと感じます。なにかがとてもスムースで、いつもの自分ではないアンサンブルだったし、おそらくメンバーはあの場所で木村さんの演奏を聴いていたのではないかと思うほどに、皆熱く演奏していました。きっと木村さんはこういう場所を作り出せるドラマーだったのだろうと思います。と、やっぱりここまで書いてみて、こういうことを日記にするのはどうかという気持ちが大きくなってきました。では消せば良いのですが、やはりこういう一日があったことは記録しておきたい。演出でも便乗でもなく。こんな縁ではなく、一度でも演奏を聴きに行くことをしていなかったという反省をこめて。
そういえばMicazoさんは、何年も前にベースの鹿島達彦とMicazoさんでやっていたミカタツセッションなるものにトラで参加したことがありました。そう考えると、マルディグラでの思い出ももうだいぶ積み上がってきました。あっ!最後に飲んだビール代払ってないの思い出した!そういえばこの前は山の登り方についてマルディグラのミドリさんに怒られたし!やべ!
いよいよ11月も終わりです。明日から師走!冷えてきましたね...