makito's voice

2009年11月30日
ヤマセン新潟へ

  • 先週末のこと。私の山の先生であるヤマセンこと松山が、東京を離れ実家のある新潟に引っ越しをした。彼は尚美ドラム科の卒業生で、今までも時々メールをくれたり、ライブを見に来てくれたりしていたが、今年の初め頃だったかこの日記に書いた「山登りがしたい」という言葉にメールを寄せてくれて以来、私の山の先生となり、やりとりが増えていた。その彼が、長年住んでいた三鷹を離れ新潟へ。ところで新潟の人っていうのはうまいものを知っている。新潟で現地の人たちが食べている米の美味さは、東京で金を握りしめて魚沼産コシヒカリを買ったからといって口にできるものではない。新潟出身の人と飲みに行くのはなかなか厳しい。うまいね〜!と顔をほころばせる瞬間が少ないのだ。と、私は勝手に思っている。ヤマセンもその限りではない。呑みに行こうということになり「何か食べたいものある?」と聞くと「なんでもいいです。心がこもっていれば。」おいおいそりゃどこにあるんだい、てな感じである(笑)まぁそんなことはさておき新潟に帰ることになったと聞いて、これは一大事、万難を排して呑みにいかなくては、と相成った。どこに行こうか...。どこでも良い。場所や料理の問題ではない。とは思いつつ、しかしやはり可能な限りアイデアを出したい。しかし日があわない。彼と私の融通が利く時間帯を探してみても、今度は店が開いていないとか、移動時間が足りないなどなど...。そうして決まったのが浅草並木薮。ここにはいろいろな人を連れていっている。そして心の処理に困った時に一人で訪れることも多い。そんな場所に、そしてちょうど11月になって鴨も解禁になっていたのだった。座敷に上がらせてもらい、斜めに座って話をする。ヤマセンは声が小さいのだが、斜めに座ったおかげで良く聞こえた。天麩羅をつまみで頼む。なんだか海老3連ともいうべきものが皿に乗っていたが、少し変わったのかな。うまい。ビールから樽酒へ。鴨を食い、蕎麦をたぐる。
  • あれこれ呑んで食べても、蕎麦屋である以上総じて時間はそれほどかからないし、かけるべきでもない。んなわけでまだ時間はある。さてどうするか。結局月島へ行く。ノスタルジー全開。岸田屋には数人が並んでいたが、程なく入ることができた。熱燗をチビチビやる。モツ煮もヌタも相変わらずうまい。しかし鴨+蕎麦の後だったので、はまつゆもおにぎりも頼まなかった。岸田屋の後は、川っぺリを散歩したり、近くのバーで少し呑んでみたり。まぁあれこれ話したようでもあり、なにを話したんだっけというようでもあり。当たり前だが彼はもう大人なのである。彼が新潟に帰るのは、なにか困ったことがあるとかそういうことでは無い。私も何も心配はしていない。むしろこっちを心配してほしいくらいだ。私から見てもそれは羨ましいほどの展開であり、学生時代から今日まで東京で過ごした彼は、これからまた違った生活を始めるのだ。山も近いしいいなー。そういえば先日丹沢からすぐに下山したのは、彼の事であり、そして彼が大事に思っている存在に関することであった。良い仕事が見つかったというし、身を固める決意もあるという。こんな素晴らしいことがあるだろうか。そして先週末、朝から快晴となったその日に、荷が車に積み込まれ運ばれていったようだ。東京からたった350km。いつでも会えるし、今までもメールの方が多かったのだ。
  • 薮でヤマセンの顔はあまりほころんでいなかったが、あれはあれで楽しんでいたらしい。蕎麦屋の楽しみに味をしめ、その後三鷹でも2〜3軒行ったようである。ところが、鴨抜きで一杯やったあとに蕎麦を頼んだら、かけが出てきたという。自分が間違えたのかもしれないと思い、文句も言わず食べて出てきたのだとか。こんなところが松山を物語っているなと思う。いい奴だ。恭平!また呑もう!今度は東銀座かな。いや、我が家で湯豆腐かな。そしていつか山の上で会いたいと思っている。今年、山に行くことができて本当にありがたかった。最小限かつ最重要な注意を与え背中を押してくれたのはヤマセンだった。感謝。おっと、エビスを担いで登るのはセンセイの役目ね(笑)

    iPhoneで撮った薮の鴨画像。相変わらずゴツくてウマイ!

    ヤマセン岸田屋へ。

    ヤマセンからT's Stoveの固形燃料ストーブをもらっちまいました。超軽量なんと8g!大事に使いますねセンセイ。山で会いましょう。