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2010年03月05日
おごっそう
ちょっと一段落ついたので書きたかった日記をアレコレ。もう何年も前になってしまうのだれけれど、制作の仕事をあれこれやっていた頃の話。ギターの矢堀氏やキーボードの青山氏と知りあい、よく遊ぶようになった。うんこ総研とか言ってくだらないことをやりとりしたものだが、あの活動内容はいつかサイトに掲載したいと思いつつも、まぁ誰もわからんだろうとも思う。いつだったか、青山氏の家に行き、当時よく話に聞かされていたとんかつの店に行ってみたいとと思って我孫子に行ったことがある。あの日のことはよく憶えていて、ちょっと寒い時期だった。制作仕事なんてのをやっていると徹夜なんてのは当たり前であって、夜中に仕事のやりとりを繰り返し妙に連帯感ができてしまうなんてのは、こういう業種の人ならば皆経験があるだろうと思う。その日は特に迫った仕事も無く、まぁ仕事関係のデータの受け渡しなんてのもあったと思うけれど、マックの話しをしたり、シンセなどの機材を見せてもらったり。プロフェット5の生の音を聞いたのはあれが初めてだったっけ。ライルメイズがメセニーグループで使っているようなぴょ〜という音をヘッドフォンで聴いたときにものすごく感動した。すげぇシンセだと思った。あとはLINN。もはや数多のリズムマシンがあったが、あの生の音は独特だった。唯一無二なマシン達。で、近くのスーパーで買物したりとか、適当にまったりしながら、手賀沼公園の近くにあるとんかつ「さとう」に行ったのもこのときが初めてだった。モツ煮がやわらかくて優しい味。そこでなぜか涙があふれてきた。その後ヒレを頼んだものの、青山氏のロースをもらったらあまりにうまくて、半分位よこせと言って奪って食べた。その後、さとうには何度も行った。リズケンの連中と行ったこともあったし、あちこちで宣伝していた。とにかくあのとんかつは美味かった。小川町の「やまいち」なんかもうまいが、私の中ではさとうが一番だったりする。その後、制作の仕事もだんだん様変わりし、自分も専門学校の講師業やライター関係、リズケンのイベントなんかもやるようになっていき、あまり我孫子にも行けなくなった。それでも年末だけは我孫子に行って飯を食い酒を飲むと言うことはやっていて、あんこう鍋を死ぬほど食ったり、寿司食った後にとんかつ食ったり無茶ばかりしていたのだが、それも息子が出来てからは無くなってしまっていた。そうして7年近く時間が経つ。ところが過日、ひょんなことから嫁が青ちゃんに逢いに行こう、そして蓬庵に行こう!と言い出し、久しぶりの我孫子へ行ったのだった。天王台にある朝日庵と、場所をよくわかっていない蓬庵、このふたつは我孫子飲み食いツアーでは必須の店だった。この数年でお店の方でもいろいろなことがあったと聞いていたが、店に着くとあのときのままだった。蕎麦屋の静寂。出汁巻きも天抜きも鴨も蕎麦もやはり美味い。あのころわからなかった美味さも感じる。あぁあの頃はいつも何を考えていたんだっけな。ちっとも思い出せない。
蓬庵。
うめぇ。数秒で食べ尽くす。
天抜き。
鴨。やっぱ葱がうまい。
蕎麦。水が良い。
蓬庵は車でないと行きづらい。青ちゃんは飲まずに運転をしてくれたのだが、いざ店に入ってもあまりに心苦しく早々に蕎麦を手繰り、我孫子駅周辺に移動。車を置き、駅北口すぐのビル2階にある寿司屋に連行される。綺麗な店。カウンターのネタ箱も綺麗にされている。酒も料理も器が気が効いている。あまり量は食べなかったが、酒をちびちび、しかしかなりの量を飲みながら大いに話をした。他愛も無い話ばかりなのだが、なんとなく過去に置いてきたあの当時の感じと、気がつけばずいぶんと時間が経っているのだなということが強く迫ってくる。どうしようということでもないし、どうなることでもない。相変わらず自分は今だって時間の中を進んでいる。今日というこの瞬間も、またしばらくすれば同じような過去になる。ただ、あの頃はそんなことは考えなかった。いや感じなかった。それは確実な違いだ。ま、なんてこともないのだがそんなことを共有しながら食べて飲んだもの、なんというのだろうか、思いや考えが残る食事。それがおごっそうなのだなと身体が感じている。経験は収集しなくてもおのずとついてくるものなのかもしれない。収集すれば執着がわく。執着が湧けば収集にのめり込む。悪循環から抜け出すことは、やはり必要なのだな。そう思えるひとときだった。ごちそうさま青ちゃん。
つまみで一杯。
器が良い。
春野菜の天麩羅。
酒がすすむ。
昆布締め。ねっとり最高。
たたき。味がしっかりしてウマ。
わさび巻き。あまり辛くなかった。
こぶりで良い。
シメはかっぱ巻き。
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