makito's voice
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2011年03月29日
地震そして停電など

  • 3月11日。東日本大震災。延岡からもどる日に大きな地震が発生した。小倉へ向かう電車の中でツイッターを見ていたが、知人たちの叫びのようなツイートが並んでいて驚く。棚が倒れたり家具が動いたりしているような画像もアップされ、これはただ事ではないとビビったが、家族ともすぐに連絡が取れ、多くの知人がツイートしていたので状況がよくわかってまずは安心した。とにかくすぐに戻らねばと思ったが、夜行バスも動かず岡山で足止め。テントもシュラフも持っているのでどうにでもなるが、岡山駅前にあったサウナに行く。休憩室に行くと、大きな液晶画面が4つほど並び、リクライニングシートに座って、好きなチャンネルの音声を選ぶ。どの画面も地震の被害を写している。事実上被害の様子をみるのはこれが始めてだったので、とにかく呆然としてしまう。次の日は始発から動いて、なんだかんだで夕方前に東京に着き、自宅へ戻った。電話で聞いてはいたが、自分の部屋は大きな本棚が横にずれ、メタルラックが倒れて引き代の中身が散乱、練習台やスタンドも倒れてグチャグチャになっていた。とはいえ、誰も怪我もなかったのだ。これで済んでよかった。
  • 次の日からネットやテレビに注視。いろいろな情報が流れている。しかしどうにも腑に落ちない。余震や関東圏の地震も怖いが、どうにも様子がおかしい。おそらく日本中がそうだったと思うが、にわか原発博士のようになりネット上の情報をひたすらさがす始末。おそらく多くの人がそうしていたのではないか。そうしていろいろな情報に一喜一憂しながら自分はどうするべきなのかをずいぶんと考えた。で、結局はふつうに我が家で過ごす毎日なわけだが、計画停電に対処せねばならなくなった。とはいえ、ここ2年ほど山に行くようになったおかげで、機能的なウェアや防寒着、アルコール&ガスストーブやライトなどがあり別に困ることもない。また、山で10〜20km歩くことを考えれば、都内の交通がどうこうと行ってもパニックにならぬだろうと思える。そして、真っ暗になった家で、小さなライトを付けて子供と話をしたり、早寝したり。開き直って健康的で良いのではないかと思える。まぁもちろん今はまだ新鮮な感じで思っていられるってことなのだろうけれど。でも今年の夏は電気を全部消して泡盛でも飲んで自宅でゆんたく、なんてのもいいんじゃないかと思うのだ。
  • 2011年03月20日
    延岡

  • 20数年ぶりに宮崎県の延岡に行ってくることができた。大学時代に最後に行ったきり、祖母をはじめ親戚が亡くなったときにも行けずにいた。子供の頃は夏になると延岡に行き、ピアノを教えていた祖母の家や親戚の家で遊ばせてもらった。延岡には五ヶ瀬川、大瀬川、祝子川など川も多く、山も海も近い。子供の頃の記憶であるから、まぁ家族に連れて行かれて、暑いなぁとか虫が多いなぁとか、そんな覚えがほとんではある。しかし年を取るごとに夢に見たり、GoogleMapで眺めたりしていた。なかなか行く機会もなく、簡単に行ける距離でもない場所ではある。
  • 延岡には昼過ぎに到着した。駅に降りると少し懐かしさを感じる。子供の頃は、よくカーフェリーを使って行っていたが、青春18切符で行ったこともあったので、その時の記憶だろう。とても良い天気、駅から五ヶ瀬川の方へ歩く。子供の頃来たときには車で動くことが多かったように思う。駅から祖母の家のあたりまでどれくらいの距離なのか身体でわかっていない。が、歩いてみるとなんということもない距離だった。道の先に橋が見える。橋に近づく。五ヶ瀬川が目の前に広がる。来ることができた...。しばらく何も考えずに眺める。ドッと想いがこみ上げてくる。懐かしい人達の声が聞えてくるようだ。祖母、叔父、叔母、従兄弟...多くの人が亡くなってしまった。しかしみんなの声が聞こえる。喜びと悲しみが大量に去来する。優しく厳しかったあの人達はもういないのだ。そして改めて実感した。俺のオヤジも、やはりもうこの世にはいないのだ。いつもどこかで、間違いなんじゃないかと思っていた。街中で似たような人を見かけるとハッと思うこともあった。なに言ってんだこのオッサン。感傷的になってんじゃねぇよ。でもまぁいいじゃないの。これ自分のサイトだもの。そうしてしばらく涙が止まらなくなった。仕方ないので五ヶ瀬川の土手に降りて寝転がっとった。時間はたっぷりあった。

    五ヶ瀬川。

  • 駅前から歩いてきた道から1本西に行くと、祇園町という交差点がある。延岡に来ると、このあたりをうろうろしたり、縁日みたいなものがこのあたりであったように思う。この祇園町からさらに1本西に行くと北小路という交差点があるが、この間に祖母や親戚の家があった。道路の位置すら変わってしまったこの場所を歩く。そして北小路の交差点につながる橋から五ヶ瀬のところにつくと、次から次へと想い出が出てくる。そもそもそんな美化するような想い出かどうかも判明できない。ただ子供の頃に連れてこられただけではないか。そう思うのだが、再び目から放水が続く。通りがかる人達が顔を覗き込んで去っていく。川に降りてしばらく遊ぶことにした。何十年も前に、自分はこの川で遊んでいたんだなと思う。海臭い川の匂いだけは当時の記憶のままだ。

    祇園町の交差点

    良い天気

    ちょうどこの場所で遊んでいた。蟹を見つけたり。

  • さて、このあと今山神社に行ってから祝子川温泉にあるキャンプ場へと向かう。翌日は朝5時くらいから山を歩き、また市内に戻って親戚を訪ねた。さらに翌日も墓参りにも行き、延岡を散策し、海を見て、そして最終日は行縢山の滝にも行った。すべて良い天気で、いろいろな人に会うのもスムースであった。機が熟していたというような、すべてが順調な滞在だった。そしていろいろなことがわかった。今まであちこち旅行しているようなときに、山に通じる道に鳥居がある風景を見ると、なぜかその風景に感じるものがあった。それはなんのことはない、祖母の家の近くの道が、今山神社の正面から続く道だった。そしてどこの山に行っても、海に行っても、なにかぴったりフィットするものを感じていないところがあったのだが、それが延岡の須美江海岸、五ヶ瀬川、祝子川、山や田園風景など、自分の原体験だったのだなと感じた。心の故郷がここにある。そう思えただけで心から嬉しくなった。自分には根っこが無い。そんなコンプレックスがずっとあった。しかし自分の中にそれがあることがわかった。これからこの地もさらに変わっていくだろうと思う。しかし彷徨っていた自分の中の根っこが特定できたような気がした。そもそも好き勝手に生きてきたわけなので、これからまたさらに根っこの無い人生を邁進するのだろうと思う。でも、もういつでも気持ちはこの根っこに飛んでいけると感じている。

    今山神社正面の道。

    来れてよかった。感謝。

  • 延岡については、また追って書きたいことがいくつもあるのだけれど、最終日の14時過ぎ、延岡に別れを告げつつ電車に乗って携帯を見ていたらなんとツイッターで地震が起きていたことがわかった。家の中の画像をアップする知り合いもいたので、地震の大きさが伺えた。ちょうどどこかの駅に着いたところで電波がしっかり入ったので嫁さんに電話することができ、その後家族や周辺の人達の無事がわかったのでホッとしたが、その日は岡山で足止めを食らい、翌日東京へ。偉いことが起きたものだと思った。自分の部屋は棚が倒れたり大きく移動していたり、グチャグチャだった。余震、不安定な原発、停電と、またたく間に1週間が経過。いやしかし大変な事が起きたものだ。皆様のご無事を祈るばかりである。これについてもまた追って...。