makito's voice

2011年05月17日
考える

  • 更新がおろそかになっている。延岡のこと、八重山のこと、あれこれ書くべきことはあるのに、やはり震災のこと、原発のことに気が行ってしまうのです。そしていろいろな意見を、いろいろな人がいることを今更ながらに知りました。どうしたらよいのか、なにができるのか、しかし他の人はどこに向かおうとしているのか。ネット上にあふれるいろいろな意見、あって話をしてみると出てくるいろいろな意見。知ってる情報、知らない情報、知られている情報、知られていない情報...。どの情報も真偽はわからない。良い解釈をすればこのライン、最悪のケースを考えればこのライン、考えるつもりがなくても、曖昧なマスコミの情報から妄想が膨らむ。自分が東京に帰ってきた3/12から二ヶ月、地震のあった翌週に思っていたことのほとんどは、今になって的中していたことが報道されている。おそらくみな感じていたであろうことばかりですが。
  • 日本はなかなかに大変な時期に入ってしまった。子供の頃から今まで「こんなんでいいのかな」と思っていたことが、現実になってきている。こんなんじゃすまないよ、今までのルールは無かったことになるかもね、そんなところであろう。オモテウラがひっくり返ることはないだろうと思われていたものが、どんどんひっくり返っている。もう何年も前から疑問に思っていたことが、現実の出来事により変化が始まっている。
  • とはいえ、冷静になってみると実に生活は今までと変わらない。多少の停電とか、水がどうの食材がどうのというのはある。しかしまぁ周辺の事柄はいつものように動いている。喪中なのに仕事しているような感覚。これが現状の本質に近いのかもしれない。僕らが恩恵を受けてきたとされる戦後の裕福な生活と教育。今週末に、私の父親の33回忌を迎える。しかしこれとて、実際どう感じていいのかわからないところもある。今現在47歳になる自分がだ。その責任を他人になすりつけるつもりはないが、喪中でも勉強を、喪中でも仕事することで育ってきたのだ。ちょっと論旨の展開が無理やりかもしれない。しかし自分の世代でもそうなのだ。正月でもアルバイトをし、誰かがコケても自分は進み、誰かが消えても自分はあくまで存在し、そして何かのために突き進む。下手な慰めよりも、それが結果的に効果があるのだ、そして経済を回すのだ...。誰が死んでも突き進めという戦時中と同じなのだな。結局いつまでたっても日本は戦闘時の興奮状態中毒から抜け出せないのかもしれない。
  • ある人は、今のこの状況を戦時中の医者に例えていた。野戦病院というのだろうか、戦場で多くの人が負傷し、医者はそれを診る。医者は、そもそもの原因である戦争を止めろとは言わずに、ひたすら負傷者の手当をしている。受難義務という言葉を出す人もいる。
  • 震災後、信じられないようなことがたくさん起こっている。自分にとってその多くは人間の振舞いだ。人間がまとまることはもはや無いだろうとすら。それが学問的には多様性であり、種の保存のなんちゃらなんていう講釈はもういい。同じ人間でこうも考えが違うのか。そりゃぁもうこの世の平和はどこへやら。しかし自分の息子の世代に、少しでも良い状況を残したいものである。なにが、できるのか。