makito's voice

2013年03月11日
3.11という日

  • 2年前の今日は、まだ暗いうちに起きて、延岡駅前から出る朝一番のバスで行縢山に向かった。市内に戻るバスの時間の都合であまり時間もなかったが、行けるところまで行って、行縢山の滝を眺めながら飯を食って下山した。市内に戻ると叔母から電話があって昼飯を食べない?と言っていただいたので伺う。そして14時くらいの電車に乗って、まずは小倉に向かった。その途中、車内のあちこちで乗客が携帯を持って立ち上がり始めた。地震が起きたのだ。この時、運良く嫁さんに電話が通じたので、早い段階で無事がわかったことには感謝するしか無い。
  • あの時延岡に行ったのは、間違いなく何かに呼ばれた部分があったのだろうと思っている。ま、それはあまりオカルト的な意味とかではない範囲ではあるけれども。すぐに九州に行けばよかった。そもそも東京になんの未練も無いのだ。そして日本の政治行政には以前から失望の方が多い。しかし結局、2年経った今もそのままである。ただ居続けている。
  • 東京に未練がなくとも、人とのつながりはある。農業のように土地とつながっているわけではないが、動くだけのことに至らなかったという結果が今ここにある。そして2年間、それなりにいろいろなことがあった。もちろんやるべきこともたくさんあったし、成し得たこともあった。
  • しかし、なにかがしおれた。枯れてしまったようである。あるべきことに向かう気持ちが無くなった。そりゃそうだ。一番気になっていることを片付けずにきたのだ。自分で自分に嘘をついた結果がここにあるのだろう。そして、居残ったことによって何かが維持できたのかと言えば、実に社会は変容していて、今までのようにはもう暮らしていけない気配もプンプンしている。
  • 初動を逃すと何もできなくなる。典型的な話しではないか。もちろんこれはこれで人生なのだけれども。問題は、覚悟が無いままに進むことだなぁ。自分で自分の声が聞こえなくなってしまっている。
  • こうやって書くとネガティヴな感じだが、ある意味フラットになって良いのかもしれない。結果を出すことは重要だが、捏造してもそれはまた嘘である。そもそも何が本当なんてこともないのだが、そうやって思っているところに、やはりなにか虚無が見え隠れしているのも問題だ。って、結局堂々巡りである(笑)