makito's voice |
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手軽なコテージを借りました。台所や風呂もあって便利。エンボカ旧軽井沢楽しい宴ハモンセラーノとイベリコ。黒豚と白豚チーズ達。ブルーチーズ最高牛蒡のピクルスが何気にうましサラダ。葉っぱが肉厚。全部茄子。サワークリームみたいなチーズをつけてワインも呑みますよそりゃマルゲリータ。トマトの酸味を活かしてますマリナーラれんこん。こういうのが美味いのがエンボカのよいところクアトロフォルマッジョ。混ざってなくて4分割で良かったような...ツイッターで尋ねたらナラタケだそうです。うまそう...でも怖いw旧軽井沢は腸詰屋だらけだったが、実際かなりうまい。どこだっけ...このへんかしら...当時のキャンプ道具と記念撮影山に比べると優しい場所鬼押出し園懐かしい景色これはテングダケ?道を間違えた結果見つけたパン屋さん。旧軽へ。賑わってました。牛すじ。味が濃すぎか。ステーキ。ソースがちょっと強いかな。らくやき鳥屋さん。素晴らしい。おぎのやの釜飯。変わらないなぁ。日本の中で「カッコイイ」「すごい」と呼ばれているものを、世界の実力を見た後に、それでもすごいと思えるのなら問題は無い。日本を卑下する必要もなければ、欧米文化を良しとする必要も無い。しかし外に行くと、自分は狭い世界にいたなと感じる時もあれば、閉じた世界の存在に気付くときもある。 じゃぁ日本の実力が上がればいいんだろ、というのは個人的には昭和的前時代な田舎発想と感じる。そして誰が伝えるのかというとそれを知っている人の代筆ではやはりダメで、やはり原画なり原音を現地で体験することしかないのかもなぁと考えが至ると、なんだか発言の勢いは落ちていくw 実力の勝負ではなくて、音楽や芸術の豊かさやその源泉である人間の心や躍動や葛藤や諦観や哲学を音楽から受け取ったのかという一点。触れた後のその人間の行動を見れば、ただの娯楽や刺激としての享受か、現実逃避の材料か、感動や人間のあるべき方向、すべからく愛ってなものを指向して生きていくようになるか、そこに透けて見えてくる筈。 あるものが心に響くには、その土壌がその人の心の中に必要とは思う。自分なりの苦労を重ねた時に見えてくるものであるとか、子供の頃はちっともわからなかったとか。日本ってのは、そういう土壌が心に作られないような仕掛けがあるようにも感じる。これは教育や治世か。アホなのでわかりまへん。 相手を変える力を持つ行動。 いやはや自分には全然できないっす。 それと同時に、それに似て非なるものにかけてしまった時間も数限りない。自分の選択の問題ではあるけれど、それが営利を目的としたニセモノに費やす時間が多いのも事実。 世の中がパラダイスになることは無いだろうけれど、自分は営利のためにニセモノを陳列することだけは避けたい。広く言えば、ホンモノとニセモノもないだろうけれど、そこを話すところから無駄な時間もまた始まっているのかもしれない。と、そんなことを昨日リズケンで談話しながら思ったのでした。 これって、どこかの国のオリジナル論争みたいではあるなぁ。 「ボクにもできる!」っていう台詞は、実は良かったのかどうか。それがオリジナルを生む発想なのかということでもあるのかなぁ。3年生の時の担任の先生と会うから集まろうということだった。 自分は、生まれてすぐ医者に「この子は3日持たないかもしれません」と 子供の頃は身体が弱かったようで、よく病気になっていた記憶がある。 そして「今は体育が苦手だけど、オトナになったら体育の先生になる 卒業式の日に、その先生は「自分が初めて持ったクラスでしたが、すごく そんなこんなで、良く覚えています。 最近、よく思うのです。自分がドラム講師とかやっていて、 先生はすっかり忘れていたりして。でも、 変身!トゥ〜!とやったら嫌でも思い出してくれるかなぁ。 |