makito's voice
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2013年11月12日
基礎って大事だよなぁと思う1日

  • 以下、専門学校でのレッスンの後に帰路につきながらツイートしたまとめ。備忘録。
  • 基礎練習の捉え方の1つとして、楽曲演奏時には止めたり遅くして試せないことを、部分だけ取り出して遅くしたり繰り返したり。そうすること自体が叩き方の基礎に戻る姿勢であり方策であり練習につながる。そうして音符の組立て、感じ方や聞こえ方、奏法の動きが合い、納得し身体が覚えていく。万歳。


    できるところまで戻るっていうのは練習のポイントだけれど、実は演奏にこそ必要かも。偶然の成功を夢想して出来もしないことを叩いてしくじるのは、出来ることを理解していないとも言える。出来ることの上にこそ表現は乗っかるわけで、やってみたら出来たってのはおもろいけど、要するにまぐれ。


    ドラムってのは、そういうまぐれみたいなものがなんとなく形になりやすいところもあって、そこも魅力ではある。ジャムったりセッションでは、そういう部分を楽しむのも多いにありだけど、演奏の実力を上げる練習においては、まぐれも楽しみつつ客観的に見る姿勢も欲しいすなぁ


    自分もそうだけど、うまくならねぇなぁうまく叩けないなぁって時の半分はまぐれを待ってるw これはドラムに限らない。準備や練習を重ね、時期が来るとグンと上達したり、物事が一気に前進したり。それを体験しちゃうと待っちゃうけど、そこで常に重ね続ける人が真のミラクルを起こすのだと思う。


    他人の努力は見えない。自分の努力を誰かの努力と測って比べることも出来ない。努力のつもりも無いことが成長につながる場合もあるし、努力のつもりが正反対の結果を招く事もある。ある意味人生は博打だが、運任せにしないことが意志の根元と感じる。その姿勢を若者から感じる事の素晴らしさよ。



    運のみ、全てをまぐれに賭ける時があってもいいとは思う。自分の人生だしそこに気迫や並外れた反射神経や現場対応力があればパフォーマンスとして成立したり、なにより生き様がロックと評価されるかも。好きにしたらいい。好きにする時間くらいあるべきで、そうやって試す事も結局は人生の練習。



    自由にしたい時はとことん自分で作り上げればよいし、わからない時は人のやり方に習い他人の基準やレベルから自分を測ればいい。どちらも出来ないときはとことん話せばいい。いずれにせよ抱えてるものを外に出さなきゃ始まらない。努力って何かと言われれば外に出す苦しみことなのかもしれない。



    基礎練習は、そうした外に出すことの手前の準備でもある。ある意味音楽の現実から離れて自己追求できる場でもあって、練習ばっかりしていてもダメってのはそういう面もあるだろう。ただ、練習にはリハーサルという意味もあって、その行為は基礎練習と区別を付けたほうがよいとも思う。



    練習と本番は違う。基礎練習とリハーサルも違う。技能の習得と技術の理解も違う。基礎は基礎でしか無いし、練習は練習でしか無い。しかし基礎練習で固めるべき地盤、その基礎によって実現できる推敲の質量こそがリハーサルの成果に現れ、表現は推敲を経て本番に至る。やっぱ基礎も大事。


    おわり。