makito's voice

2014年02月19日
広告宣伝によるもの

  • ツイッター雑文。
  • そこにいる者、その物を手に入れた者が得をして、そうでない者が損をするという印象を持たせる宣伝広告が世の中にもたらす効果とはなにか。必要に感じて探し、手に入れようとする能動が、誂えを待つ受動に変わることは能力を身につける意味においては致命的ではないか。勧誘はこの限りではない。

    それは宣伝の問題ではなく、受け手が勝手に持ってしまう面もあると思うが、そこにマージンを持たせ防波堤を忍ばせる工夫こそが宣伝の効果をもたらしめるとは思う。広告はそんなことまで意識するのか。商売はそんなことまで考えるのか。実際今の商売はなんでもアリな世界とすら感じる。でも、なぜかこういうことを思う。

    私のオヤジは広告の仕事をしていましたが。小さい頃に、新聞に乗っている懸賞クイズを見て「これの答えが同じ広告の中に書いてある。これ誰でもわかるじゃん」と言った私に「商品を買わないとわからないようなクイズにすると、買えない人がそれを知るためだけに万引きしたりすることもあるかもしれない。そういうことも考えるんだよ」と言っていました。

    これ、今考えると単なる子供へのたしなめだとも思うし、ひょっとしたら裏の意味もあったのではとも思いますが。この時の謎解きのような答えが、今での自分を支配しているように感じる。

    どうあるべきかということ。

    Aという方向に向かうべき仕事が、Aに向かわない力を持つことで、実はAに向かう効果が最大になる。みたいな。

    ま、適当なんですが(笑)