makito's voice

2019年10月22日
どうにもならん

  • 今日はトイレのボールタップを修理。なんつうかあんなんで水のトラブルなんとかで何万も取るんだよなぁ。良い商売やで。
  • 暇はあるのになかなか山にも川にも行けなくなってしまった。死にそうに忙しかったときは、行かなきゃ死ぬ!俺には行く権利がある!ww くらいに思ってでかけていたが、暇があっても天候や前後の移動など考えるといまひとつ。
  • そんな中、気持ちはどんどん荒んでいき、しかし実際疲れて山なんてもう登れもしないほどに体力も落ちている。つうことで、なんか綺麗な山の景色とか、ネット上にある写真や動画でも眺めてみようと思った。カナダの山がいいなと思ってあれこれ見ていたら、ただひたすら焚火の火が写っているとか、そんなのもあったり。そして、カナダの山にひとりでログハウスを建てるみたいなやつ。こういうの昔から結構あってすごいなと思っていたが、木を切り倒して皮を剥いて切って掘って積んでいく動画などを見つつ。こんなこと週末にやってんだろうなと。で、こういうので多いのが所謂セルフィーで。すると、今度はデンマークのブッシュクラフトの動画がオススメで出てきて、そいつを見る。いやぁ衝撃。なんの文字も無い。言葉も無い。ただただ、オーバーナイトでキャンプする様子が写っている。
  • その動画が「6 days solo bushcraft - canvas lavvu, bow drill, spoon carving, Finnish axe / by
    Rune Malte Bertram-Nielsen
    」というもの。いや〜。なんだろうこのペース。道具は斧とナイフがほとんどで、ULというわけではないが、かなり削ぎ落とされている。久々にインスパイアされた。素晴らしい。あれこれ説明したり、早送りしたりしない。もちろん、結構マメな編集はしてあったりするのだが、それにしても、基本ゆったりである。これを見ながらアウトドアチェアをリクライニングすると、あっという間に眠れるw
  • このMalteさんの動画も一通り見終えて、他のブッシュクラフト関連、サバイバル関連を見る。どうやらあの動画は結構な影響力があるようで、日本はもちろん、いろんな人達があのスタイルでブッシュクラフトやキャンプ的なものをアップしている。が、しかし個人的にはあの動画にはかなわない。鍛冶屋をやっているらしく、諸々の立ち居振る舞い、工作の動作がいちいち良い。
  • とはいえ、同じ動画を見てもつまらぬときは、またいろいろ新規開拓する。そうすると、海に入って水中銃で獲物を捕らえて釣りをして浜辺でキャンプしたり、エンジンの付いた船を出してあちこち動いたり...。とにかく言えることは、自然の環境が違いすぎる。芋洗いのような海岸でもなければ、看板で規制がどうのでも、誰かがみっともなく汚している海でも川でも山でも無い。土地は広く、海は綺麗で誰もおらずゴミも無く、そこにデカイ車で船を引いて出航して島で調理する。なんだこのなんでも揃ってる感。どうにもならん。たかだかキャンプするために何時間も車を走らせ、地元の目が光る中で小さな遊びしか出来ず、海は汚くゴミは多い。
  • そうして自分は何をしたかといえば、洗練されているとも思えない設計の、しかも日本中に無数に取り付けられているであろうトイレの装置を分解して、長時間水に浸ることを考えてつくられているのかもわからないゴムのボールで真っ黒になり、そしてパッキンを交換するでもなく裏返しただけで事なきを得て、一体日本の設計のどこがいいのかと甚だ疑問になり、そうしてその後は狭っちいベランダで何をどう置くと省スペースになるか、そしてどうやったら作業をするスペースが作れるのかを考え、洗濯物がひしめくその場所であれこれやって棚や台を組み直し、しかし到底作業などできる目算も立たず。そうして部屋の2畳にも満たないスペースで工具を整理して溜飲を下げるしかない。こんな敷地に、ベランダくらいもう少し広く作る頭はなかったのか。日本人てのはホンマに頭が悪いし、他者に豊かさを与える気持ちが皆無だ。広いスペースで木材を扱うことも、工具を奮うこともなく、ただ家庭内の片付けで終わる。まぁできたとしても、できるのかは知らんけれど。
  • 何を与えられたわけでもない。環境も無い。自分で無理やりやってきただけだ。しかしまた邪魔が入る。どんどん狭まっている。聴こえの良いことは言う。しかし実際なにも明け渡されたことなど無い。生きてるだけで環境があるなどという所謂ありがたい心を持ってはきたが、しかしそれとて腹が減ったものを忘れされるまやかしのひとつであろう。
  • すべてが貧弱だ。日本は清貧だの、質実剛健だの、断捨離だ、ミニマリズムだと。もうどうにもならん。豊かさが違いすぎる。この年齢になるまで、毎日遅刻もせずにあれこれ仕事に通い、あれだけのスピードで仕事をして、疲弊して夢も無く周りの環境はすべて年上に合わせ、せいぜい豊かといっても都内にマンションだの車だの外食だの海外旅行だのだ。どうにもならない場所に生まれてきたようなものだろう。そうして絶望して死んでいく怨念が、日本にたまりまくっている。優れた音楽が生まれるはずも無い。優れたデザインが育つはずも無い。精一杯頑張って背伸びしているだけだ。あとは精神世界か。そりゃオウムみたいなものもできるはずだわ。今まで自分は、耐える元気があった。それだけのことだ。与えられたのは、忍耐をする力だ。豊かさを感じる要素などひとつも与えられずに生まれてきたようなものであろう。しかし耐えてなにか作ることの可能性を広めようとしてきた。しかし、もはや社会はキチガイになって、貧弱な持ち物を離さないことに必死になっている。それでいて、ものを創ることも、農作も、ともすれば料理すらしない。なんだこれは。これが大人になったら少しはまともになるのかと思っていた世の中か。絶望しか無い。死に方を考えたほうが良さそうだ。逃げるが勝ちだ。