makito's voice

2022年03月31日
岸田屋ふたたび

  • 今日は午前中に息子の入学式用の革靴を見に行った。リーガルのクラシックなプレーントゥが、なんだかんだ一生使えるしと思っていたが、うちの息子は高校入学時に買った結構形の良いローファーもほとんど履いていなかったので、安めのもので済ませて、普段使いの靴を少し良いものにしたほうがよかろうということにもなったり。制服から解放され、なんだか明るめの服を来て電車に乗っている我が息子を眺めていたら、なんというかほっこりした。
  • 午後は横浜で打ち合わせ。ほどなく終わって、京急に乗るつもりが東急に乗ってしまい、若干遠回りしつつ、かちどき橋へ。久しぶりの場所は、道路やお店、商店街のアーケードなど少し変化も見られたけれど、桜もあちこちで咲いていて、なんだか変わらない感じではあり。
  • 開店は17時かと思っていたので、2時間ほど時間をつぶすことにした。1時間ほど喫茶店で過ごし、あとは早めに店の前に行って並ぼうと。すると、暖簾も出ているし、覗き込むと、店内から「どうぞ〜」と声がしてくる。一番乗り。一番思い出のある、入って左隅奥に座り、熱燗一合とヌタと煮込み。程なく出てくるが、酒が出てこない。どうやらちょっと失念されていたようで、あとからスッと出てきたり。あぁこれこれ、この熱燗だよなと。煮込みはちょっと量が変わったような気もしたが、食べすすめると、むしろ部位のバランスもよく、たっぷり美味しいところが入っていた。ヌタは相変わらずよく冷えてしゃきっとしていて、青菜、ホタルイカ、青柳、あとは刺し身も入っていた。
  • 本来そんなにモリモリ食べる目的で行く場所でもないが、次またいつ行けるかもわからず、銀鱈やくらげ、そしてはまつゆとおにぎり。酒はなんだかんだ3合も飲んでしまった。ひさしぶりのはまつゆは相変わらず美味しく、そしておにぎりはやはり米がおいしく、炊き具合も握り具合も良い。中に入っているシャケも変わらぬ味。お新香もついていた。思わず顔がほころぶ。目の前にいたおじさんが怖い顔をして俺を見ながら、メニューを見ていたり。おにぎりは昔は裏メニューだったが、ちゃんと店内に書いてあったので、わかると思うんだけども。
  • 店内のおねえさんは店入ったときに、久しぶりなんですよと言ってもあまり反応もなかったが、その後、お母さんや猫の話などをして、そしてもうひとりのおねえさんは、目が合うとにっこりしていた。お会計をして、ササッと店を出ると、なんだかふっと胸にこみ上げてくる。あの頃もこうしていたよなと。調べてみると、2002年の1月にご主人が亡くなったことを自分は知ったようで、なんだかんだで20年。確か一度、どこかで寄ったことはあったのだが、複数人で行って混んでもいた。今日はひとりだったので、当時、自分の人生の転機について悶々としていた頃がどんどん蘇ってきた。そして当時のあの店の常連さんの雰囲気など。とにかくダメになるまで飲んで、考えることをやめるくらいになって帰宅していたように思う。その頃から、良い時期も、おかしな時期も、変化の時期も経て、息子はついに大人になってきていて、もはや自分の人生もあとはしまっていくだけであるという、これは諦めではなく安堵にも似た気持ち。どうなるかなぁ〜ではなく、なんとかこうなったなぁ、そんな感じ。無論まだまだこれからもいろいろあるとは思うのだが、まぁとりあえず今日のところは、である。
  • 店を出ると。さきほどのお姉さんが出てきて、挨拶をしてくれて、いやいや、久しぶりに来れて、いろいろ思い出してしまいましたと伝えると、父が亡くなってからいろいろと...と言うので、いや本当にまさにその頃です...と言ってみるも、言葉が続かない。また来ますと店をあとにして、しばし近くの公園で空を眺める。去来するなぁ。 なんだろうこれ。
  • お店が一度閉店したとき、自分になにかできることはないか、誰もやらないなら、俺がやりますと言いたくなるような気持ちだったのを覚えている。もちろん自分がそんな使い物になるはずもない。しかし居ても立っても居られない感じだった。それくらいに、あの店のなにかが好きだったのだろうと思う。そうして20年も経って、もし大きく変わってしまっていたら、昔の思い出のままの方が良いのかもしれないなどと考えてもいたし、実際再開後も混んでいたり、最近はコロナもあったりで。しかしどうだろう。あの頃とかわらないものが流れている。なんて素晴らしいことだろうと。
  • そして不思議なことに、昔はたまらぬ気持ちがパンパンになった時に行こうと思っていた場所であったが、なんだかフッと変わって、これからまた、ちょいと寄ろうかななんて考えている自分がいる。いや実際ちょっと遠かったり、今日みたいに空いてるってのはなかなか無いのだろうけれども。