makito's voice
著書紹介など


「もう一度基礎から始めたい人のドラム・レッスン ~頑張りすぎずにできるシンプル・トレーニング~/山村牧人著/リットー・ミュージック刊」

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<この本について>

 前作「一生使えるドラム基礎トレ本」を出させていただき、これはもう一生使えるわけですからということで隠居生活に入ることを余儀なくされる予定だったのですが、まぁ隠居できるほどのなにがしがあるわけでもなく(笑)、人生とは何が起こるかわかりませぬ。このような本の制作に関わらせていただいた次第であり、めでたく出版となりましたのでご報告と宣伝をさせていただきます。

 本書のポイントは、どんな形であれ曲を叩く中でバランスを感じ取らないとと集中力と継続のモチベーションは生まれない、ということだと思っています。カウント練習のためのCDトラックから練習曲まで、他のパートとの中で叩くことの中で、できるだけ教則的なドリル的内容にしたいと思いました。

 この企画はなかなかに難しいテーマでした。編集Hさんから投げられたものをできるだけ咀嚼し、大まかな材料は早い段階で決まっていたのですが、実際にどんな本になって、どんな誌面で進めていくのかというところが、ある意味どんな形でもその主旨に合うとも言えるし、しかし何がベストなのかというものもない。そして今回、練習曲の制作を頼んだのは榎本英彦さん。以前、歌モノのライブでご一緒したのですが、食い物の話から世相的な話までその後もネット上などでやりとりがありました。で、一番最初に顔が浮かんで、すぐにお願いして...いや〜私のオーダーにかなり無理をして応えて頂きました。ドラマーの練習にとって都合のよいものっていうのは、実は本来の音楽の成り立ちと逆のものなのかもしれません。だって、ドラムが土台なのに、その土台の練習をさせる土台となる音楽を作ってくれだなんて...(笑)しかし結果として、この本がターゲットとするドラムをやりなおしたい人、これから始めたい人にとってバランス良く、編集部も納得のオケを作って頂きました!本当に感謝しています。

 この本には、レッスンで使っていた内容を盛り込んでいます。特に「マラソントレーニング」という10分のバッキングトラックに合わせてひたすら8ビートを叩くものについては、これを参考に同様の練習をどんどんして欲しいと思っています。CDをかけると、いきなり空白が登場するカウント練習用トラックから始まりますが、これも意外にキッチリ合わせるには注意力が必要です。当初、本書は思い切って8部音符までの簡単な内容だけに絞りたいという目論見もありましたが、やはり手にとって見た人へのアピールや全体のバランスを考えて、後半にはテクニック分野の紹介なども掲載しています。これからドラムを始める人、少しやっていたけどちょっと離れてしまっていた人など、ドラムを改めて練習する再出発にあたっての「地図」のように思ってもらえたらと思います。

 個人的には、震災後の混乱みたいなものに翻弄された年でもありました。しかし、専門学校やレッスンで顔を合わせる若いドラマー達との交流にひとしお感謝した年でもありました。今まで彼らと過ごした時間のいくらかでも、この本に乗り移せることができたらと思いました。私がドラムに関する記事や書籍に書いていることは、すべて教える現場で若いドラマーと共有してきた時間の中で生まれたことばかりであり、今あらためて振り返りながら、こういうことなのかなぁと感じることしきりです。

 今回もまた、リズム教育研究所の研究生や、専門学校の卒業生にも協力をしてもらいました。そして、とにかく編集Hさんとはとことん話して、とことん意見をぶつけて進めました。こういうことができるのは、なかなか稀有なことなのです。初心者に対する制作物っていうのは、実は一番難しいものだと思います。本書は、今までの流れと少し違うものを、しかし本流にどうやって戻すのか、そのひとつの形だと思っています。書いてあることはシンプルですが、その方法論でその後も練習を続けて欲しい、そんなものになっています。


<制作の背景>

 赤本と呼んでいただいている「もっとドラムがうまくなる〜7つの最強プログラム〜」や、黄本「一生使えるドラム基礎トレ本」からすると、これは「白本」とでも言いましょうか...。この本はタイトルにあるように、練習につまづいてしまった人、なんとなくドラムから遠ざかっている人のための企画でした。ドラムマガジンの特集や連載でなんどとなく原稿作業をさせていただいた編集Hさんから主旨を聞いた時に、そういう優しいナビゲート役は自分より適任者がいるのでは、そしてなんとなくいろいろな方法論がありそうと思いつつも、実はこれはかなり広大なテーマであることに気付かされながら、諸々アイデア出しを重ね、今までレッスンでやってきた中で「やる気の湧かない生徒やできていない生徒に何をさせるか」というポイントを連想しながら上げていきました。

 今回、この制作にあたる同時期に、ベーシストやギタリストなど専門学校の講師の方々から言われていたことがありました。「最近のドラムの子は普通に8ビートを刻むとかができない。キープするとか、小節数を数えるとか、そういうことがすごく形になりにくい」というのです。これは何も若い世代を批判したいわけではなく、実際譜面を読んだりテクニック的なことに対しては結構実力も意欲もあるのに、簡易的なレコーディングセッションみたいなアンサンブルをやらせてみたりすると、良いビートが出てこないということです。困ったことに、ツイッターなどで同じようなことを書いていたエンジニアの方もいらっしゃいました。

 とはいえ、ドラマーの側から見ていると、他楽器の人達がドラマーに求めるもののカオスというのも感じます。ビート刻んでくれればいい、とにかく大きな音でステージの土台を支えて欲しい、自分の曲に対してオリジナリティあふれるアプローチを展開して欲しい、誰それみたいな感じを出して欲しいなど、まぁ当たり前なんですが、ドラマーへの期待やハードルってのはそれなりにあり、ドラマー本人としても、叩いて音を出してみればスーパードラマー達の演奏がどんだけすごいものかを痛感して萎えてしまうこともあるかもしれません。シンプルであるとか、グルーヴであるとか、テクニックであるとか、手数であるとか、サウンドであるとか、今のドラマーの評価ポイントは数多くあります。しかしそれが多くありすぎるが故に、なんかわかりにくくなっちゃってるなーとも思います。

 これはどうしたらよいのだろう、と思うのですが、そんなことがわかって魔法のように治せたなら私はきっと世界中の人をドラマーにさせる超能力者になれるかもしれませんw ただ、仮説的にたとえるならば「目をつぶって絵を書いている」もしくは「仕上がりを考えずに漫然と絵を書いている」ような匂いを感じます。それの耳版。やはり大事なのは「耳を使うこと」であって、演奏しながら常に耳のアンテナが機能している状態こそが集中であり、理屈ではなくイメージが湧いてくることなのだと思います。

 ドラムの練習というのは、やはり音楽の高揚感の中でエネルギーを引っ張り出されるようなところがあると思います。だから、曲をコピーしてあわせて叩く、バンドでやってみる、なんていうことの繰り返しがすなわち練習になるわけですけれども、70〜80年代にドラムを始めた私の世代からすると、そういうことはみんなほおっておいても好きなだけやる人が多かったように思います。というかそれしか練習方法がなかったとも。で、なんとなく雰囲気で曲は叩けるんだけれども、もっと基礎を固めるとか、決まりごとを覚えたり、奏法を整えたりっていうのが大事だったように思います。ところが今は、ひょっとしたら音楽を聞いてコピーするよりも、バンドスコアを見て、教則本を見てバンド活動を始めるような人も多い。別段悪いことじゃないはずですが、バンドスコアも教則本も、音楽を聞いて演奏にチャレンジしようとしている人の参考書です。本来の教科書にあたるものが無いのに参考書だけあるという、なにかバランスの悪さも感じます。これ、なにがどうとはうまく言えないんですが、何年もやっているうちに感じたことでもあります。その他、昔の曲はコピーしやすいものが多く、今はドラマーのレベルも上がってコピーが難しいとか、便利に慣れた現代であるとか、ゆとり教育がどうしたとか、最近の人達は強制されることが無いからとか、いろいろ言う人もいるのですが、すべては周辺の事柄に過ぎないようでもあり、本質に関わっているようでも確証は無い。とにかくいろんなことが、いろんな方向でこんがらがっているのを感じます。

 こんがらがったものを解くにはどうしたらよいのか。そりゃやっぱり簡単にするってことでしょう。手にいくつも握っているものを離さないと、壺の中から手は出せないのではないでしょうか。で、ちなみに簡単っていうの何かっていうと、これまた「基礎」なんて言葉もよく使われるわけですが、こういう言葉は実際のところ定義も難しく、せいぜい意識をなだめるくらいの効果しか無いのかもしれません。だって、簡単なことをカッコヨク聴かせるなんてのは10年選手な話なわけですから。で、結局のところ、やはり順当にやっていくしかないのですね。まぁもちろんいろんな興味の惹き方というのはあるのですが、そういう著作物は菅沼孝三さんとかの名著なんかもあるわけで、それに適うはずもありません。

 で、今までレッスンの中で使ってきた音源とか、音の素材とか、そういうものを思い出してみました。シーケンサーで打ち込んだパーカッションに合わせて叩く、ベースラインに合わせて叩く、マイナスワン、クリック...。たとえばレッスンでクリックを聞かせて叩かせるのと、ベースラインやバッキングトラックみたいなものを聞かせて叩くのはどう違うか。これはその人の傾向によることが多く、曲の練習ばかりしている人は、クリックの上で論理的辻褄を合わせたことが苦手だったり、教本的練習を多くやっている人は、現実の音楽の中で起きている即興的変化や理不尽さに対応できなかったりです。どちらの練習も必要。

 基礎からやり直す。これは実はパラドックスなんじゃないかとすら思います。しかし、多くの人がこの言葉に魅力を感じます。ある意味、家を出る時に右足から出るか左足から出るか、そんな験担ぎやジンクスみたいなものなのかもしれません。

 いろいろグダグダ書いてきましたが、実際の演奏の難しさというのを考えると、こんなことすべてただの能書きです。その時その場で形にしなくちゃ意味がない、そして始まったら止まらないしミスが起きてもすぐに起き上がり、緊張していようが心臓が破裂しそうだろうが、とにかく終わりまでやるっきゃないのです。演奏をしたことがある人ならば、皆わかることでしょう。普段友人と話すときはいくらでも話題があって図々しく何時間でも話せても、壇上に上がってテーマを決めて話せとなるとボロボロになってしまうことがあるように、練習でどんだけ叩けても、頭の中にどれだけ素晴らしいフレーズがあっても、実際に演奏できなきゃしょうがないという面もあります。

 本書は、当初8分音符までしか載せないつもりでした。どんな形であれ、曲を叩く。その中にビートの本質を感じない限り、テクニックやフレーズが演奏だと思い込んでしまうところから抜け出せないのだと思います。結果としては、その先のイメージまで持ってもらうような内容になりましたが、いろいろな方面からの要求が結集した形ということで、読者に伝わることを願うばかりです。