makito's voice
2021年06月12日
終活なんてものがあるならば

  • 現代ほど「蓄積」というものが可視化された時代は無いのではないだろうか。デジタル&ネットワークによって、それはさらに。wwwインターネットの本来の用途を遥かに越え、ブログはもちろん、画像、音楽、動画、SNS...一体どこに保管されているのだろう。今のところ、自分のアホみたいなツイートやFBの投稿、画像はアクセス可能である。これを世界中の個人を相手にやっている。膨大なメモリ領域と、それを支える電力、メンテナンスはどうなっているのだろう。
  • 遺書というものがあり、財産も無い自分にとってはお別れの往生際の悪さというか、最後にこれ言っておきたい、忘れてほしくない、みたいなものでしかないが、自分より先に空の上に行ってしまった人達のその後を考えると、最後にひと仕事、残った人に要求しても、まぁそれはそれで、主張くらいさせろコラっていうところもある。
  • 今日は、なんだか時間の進みが遅い日だった。あれこれやって時計を見ると、まだ予想より1〜2時間前、というのが何度もあった。静かで穏やかで、明日からの行動の準備をするには余裕がありすぎるほどの。
  • なんというか、居を移してから、ようやく少し落ち着いてものを考えられるようになってきたが、とはいえ次から次へと難問も振りかかる。そしていよいよ、実の息子の大事なタイミングがやってきたようだ。若者は、現代の情勢など知らない。日々起きる新しいものに目を奪われ、そこに邁進することが生きることであると、それは半分正解だが、半分は不正解だ。しかし、その時々のブランドや流行、普通と呼ばれるムーブメントに絡め取られていく。
  • いろいろ頭をひねり、心が捻られる中、なんだかふとおかしな感慨にふけって、SNSに投稿してみれば、なんだか遺書のようでもある。そして今夜は久々にちょいと移動をする。なにかあるのだろうか。いやないだろう。しかし、実は息子に対する最大の教えとは、居なくなることなのかもしれない。それは自分を律してきたものを認めたいということでもないと思うが、結局、渇望しなければ、前進のエネルギーなど出てこないし、世の中にはクールに進める人もいるが、それは俺の遺伝子を持っているとは思えないので、除外する(笑)子供が自由になるためには、実は必要なのかもしれないと思うことはある。
  • 楽器は、息子が管理してくれるといいなぁ。せっかく、チャーリー・ワッツになれるんだから。ベードラ小さいけど。シンバルは横山君と博士に見てもらって、山村ジュニアワッツに必要なものを選定してもらって、あとは大したものもないけれど、有効活用の道があれば。例のスネアとかは、博士の元に戻るとか(笑)
  • 本とか、漫画とか、俺の工具とか、部品とか。使ってくれる人の手に渡ってほしいなぁ。俺も人から授かってるし。
  • 家は、きっと売るだろうなぁ。そりゃそうだよな。でも、良い家に巡りあった。ラクチンさは無いけれど、大変だったけれど。ミラクルのような出来事だった。息子も部屋が欲しかった。そして、忘れていたが、幼少期の自分も「広い家に住みたい」と書いていた。ちっとも覚えてない。が、それは少し叶った。延岡のことも、息子にも伝えておかないとなぁ。山村長兵衛の子孫ではあるわけだし。あぁ、どうしたら日本は、祖先からの繋がりを、もっとナチュラルに、もっと素直に感じられるようになるんだろうか。英霊とかそういうんじゃなく。
  • かーちゃんには好きに生きてもらって、淘人は自分でできることに誇りを見つけて。楽しいと面白いの違いについてとか、そういう話を、もうできるはずなんだけど、全然チャンスが無いなぁ。遅い反抗期かいな。生き急いだ自分と、そうでない息子の考えに接点ができるのは一体いつなのだろう。あ、ふたりとも、改名していいよ。携帯の下4桁も、苗字も、運勢悪いらしいしなぁ。
  • あ、息子には、この曲を聞いて欲しいな。Bob Bergのアルバム入っているピーター・アースキンのJuniorという曲。一度聞かせたかもしれない。淘人が生まれて、この曲がものすごく大事な曲になった。そしていつか違う曲で構わないので、同じ体験をしてほしい。
  • あ、裏の梅の木の右側、あれはもう腐ってもうすぐ倒れてくるから、やっぱりそれをちゃんとしないと、居なくなるわけにはいかん。

  • 2021年03月26日
    いやはや

  • 今日は、五十ウン歳の最後の日である。明日から五十ウン歳になる。自分がそんな年になるなんてなぁ。
  • もちろん万物に感謝というのがベースにあるわけだが。一昨年からの流れでアレコレ動いていたものが、現実となって、いよいよこのタイミングで新しい環境に移ったということは、実に喜ばしいことである。
  • それにしても、だいぶ頑張ったつもりはある。抜けている点は山ほどあろう。しかしだ、ここはまぁよく頑張ったという方向でまずは良かろう。そんなわけで、数日前に大きなイヴェントがひとつ終わりを感じさせて、実にここ最近の老体にムチを打つのにもちょっと緊張が途切れた感があり、少しのんびりしてみた。
  • 折しも、昨年の今頃は、丹沢で火を眺めながら歳を重ねようとしたわけだが、屋外でたんまり花粉や黄砂を吸い、焚き火の煙で存分に目も鼻もやられ、その後2ヶ月はコロナかとおもうようなひどい体調だった。
  • Bスポット治療に至って、激痛の末なんとか戻っていったわけだけれども。今年は無理はしまいとちょっとノンビリしながら、ここ数年見て見ぬふりをしていたドラマー達の動画をあれこれチェック。
  • いやはや。ものすごい進化だ。これを、この五十ウン歳の最後の日に見るわけか。うーぬ..。もはや、なにをどうしたって、今後のアプローチなど見えやしない。なんだろうか。奏法も音楽性も創造性も。まいったなぁ。
  • 明日は、ただの普通の日ということにしよう(笑) しかし、これにどう対抗していくのか。他の人達はw

  • 2021年03月10日
    2021.03.10

  • 動き。
  • どこへ行くのか。いろいろなものが連鎖しまくって、動きに至った。ようやくとも言えるし、遅すぎた、早すぎた...思おうとすればいくらでも思える。
  • このサイトは、何かもっと役に立つ物にならなければならないなと思う。そのエネルギーをチャンスとしてもらったと考えよう。

  • 2020年05月03日
    Bスポット治療

  • 数年前から調べていた上咽頭炎の治療法、Bスポット治療を3回ほど受けた。結果から言うと、何十年も前にここを治療すべきだったと感じる。幼少の頃から蓄膿や鼻炎のような症状が当たり前の者にとっては、これは走るのが遅いとか、背が低いとか、顔が丸いだの四角いだのというキャラクターやハンデのようなものと思い込みやすいと思う。大学を卒業後、耳鼻科でガス噴霧式の点鼻薬をもらったとき、ビリビリとした刺激に驚いたが、その後は魔法のように鼻がスッキリした。そう。鼻炎という枠で考えていて、概ね乗り切っていた。普通にしながら鼻が詰まったり、鼻水がタラタラ出てくれなければ、それだけで御の字、みたいなところもあった。そして、世の中的には段々と花粉症アレルギーとか、温度差、黄砂などいろいろと認知されて、薬もあるので、まぁそこそこ悪い状態ではなくなっていた。そして自分は、ドラムを叩くと身体全体が温まるので、いつしか身体が冷えて出る症状は少なくなっていった。
  • 鼻炎の薬を飲むと、鼻は通る。実際、ここ何年も、鼻が詰まって苦しいという鼻炎症状はあまり出ていない。しかし、なんだか喉の奥に違和感がある。痰というほどでも無いものと、痛みというほどではないが、鼻から空気を吸うたびに感じるツーン、シーンとした刺激。黄砂のシーズンになると、顔がガビガビに乾燥し、喉が痛くなる。しかし過ぎれば収まる。このときの喉の痛みというものも、ちょっと喉を潤したりするといい感じに思えたりするもので、お茶やアイスコーヒーなどでごまかせる。夜になれば、ビールやレモンハイなどは最適だ。
  • 数年前から、春先の仕事が一段落した時に、2週間ほどヘバッてしまうことが増えた。大抵は大酒をくらったあとなので、そちらのやっちまった感ではあるが、その後の体調不良が長く後を引く。しかし仕事が始まれば、また忘れていく。さて、そうして今回、時間もあり、なんとしても体調を戻したい気持ちで、抗生剤からアレコレを試し、どうやらステロイド吸入か、ムコダインあたりのおかげで後鼻漏が強くなった感、そしてその後半夏厚朴湯でずいぶんと症状が変わったので、これはどうやら心因か自律神経であろうということで、Bスポット治療を改めて調べ、実のところ小学生の時に中耳炎を直した直近の耳鼻科に出向いた。
  • 状況を話し、可能性があるならBスポット治療をお願いしますと告げる。すぐにスコープでチェックし、咽頭の腫れた部分を綿棒でつつくと、後頭部にガーンと来る。ここに薬を塗りますよ、と。左の鼻の穴から、次に右。そして喉から。いやはや激痛であり、どう受け止めてよいか、どう気持ちを逃したら良いのか、まったくわからないし、嗚咽も出れば喉には水分も溢れ出て、盛大に咳き込む。おそらくはあっという間なのだろうけれど、涙目になり、先生の質問になんとか答えて、効いてるかどうかもわからぬネブラーゼをやって終わり。
  • Bスポット治療は病院が限られるが、ネット上にはいろいろな人が、経緯などを詳しく書いている。そこに書かれていることの中で言えば、まぁ定番的な状況であろうけれども、とにかく今まで気になっていた「喉の奥」と言うものが鼻の奥であり、そこに綿棒が到達すると、そこだ!という気持ちとともに、壮絶な痛みがやってくる。どうやらこの治療は、塩化亜鉛を塗ることよりも、炎症した部分を擦過することで、鬱血を擦り出し、そしてその痛みによって慢性化して正常に機能しなくなった迷走神経とやらを刺激で治すみたいなことが大事なようであり、血は出るし痛みはしばらく続き、自分の場合は帰宅してうずくまっているうちに寝落ちして、目が覚めると痛みは薄らいでいて、体調が実に良くなるという感じ。2回目は、初回よりも痛くないかと思いきや、擦過に本腰が入ったせいか心が折れるほどであり、3回目は少しお手柔らかにとお願いしつつも、やはり患部に到達すると壮絶な衝撃。しかし、やるほどに、体調は回復し、30代の頃を思い出すような、なにかこう意志力みたいなものが戻ってくる。
  • 上咽頭炎は、自律神経の乱れにもなるということで、そしてまたストレスが炎症を加速もさせる。一人になったときなど、どう考えても、鬱か、ともすれば攻撃性や発狂に近いような思考というものに支配もされる自覚もあったが、この治療後は、なぜか根拠のないポジティブさや冷静さが蘇る。自分の思考が進まない、昔から考えていることが、同じライン上で答えを導き出せない、その憤りが募る。諦念と諦観を繰り返すも、何も見いだせない。そんな状況から、多少、多少ではあるが、回復できそうであるというのが、今の気持ち。実際、すでに自分から出てくる言葉や、アイデアに今変化がある。実は、咽頭でなくとも、どこか思い切り傷をつけて痛みを感じさせれば、同じ効果があるのかもしれないが...(笑)
  • しばらくはこれを続け、またセルフでの治療も視野に入れるべきではあるが。コロナ後もまだ生きていかなければならないのだとしたら、どうにかこれでまた正気を取り戻すしかない。30年前の自分に、教えてやりたい。これが無ければ、もっと良い仕事も出来ていたかもしれない。そしてある意味では、実は30代は、この症状は一番無くなっていたのかもしれないな。なぜだろう。その考察もまた必要ではあろう。

  • 2020年05月03日
    憲法記念日

  • 憲法記念日。自民党が若返り、世界の知恵を学ばない限り、憲法を変えることには賛成出来ない。年寄りの発想だから。
  • 憲法とルールをごちゃ混ぜにした、言いくるめのような説明ばかりだし、今となっては答弁も出来ない。
  • 仮想敵の問題ではなく、与党の能力の無さとして訝しがることになんの不思議も無い。
  • そしてなにより、もっと文化芸術を大事にする国であって欲しい。誰もが威張るために絵描いたり音楽演奏したりしてるわけじゃない。
  • 利権的な豊かさを一部に閉じ込めて、全体主義から外れる者を批判の対象になるように仕向け、人の怨恨を操る者、今の自民党こそ、日本の未来には不要。

  • 2020年04月27日
    omg

  • 神様がいるのなら。たのむ。ドラムを叩かせてくれ。

  • 2020年04月19日
    うおおおおおおおおおおおおおお

  • んが〜。
  • 意思表示はっきりしてくれよ。合わせるとか、完璧なつもりかいな。そもそもこっちは最初から汲んでるんだから。スってことはあり得ないでしょうが。