2010.05.16〜17奥多摩 親川〜丹波天平〜前飛竜〜大洞山〜狼平〜雲取山〜鴨沢

山には何があるのか。そういうことが一層わからなくなった山行でした。そしてなんだか尋常でなく疲れた。なにかに抗いながら歩いたと言いますか...。歩いたルートを見直せば、ガイドブックや雑誌にも載っているようなものであるし、なにも人の倍も歩いたわけでもなく、まぁ珍しくもない2日間のhike。AM5時前に家を出て始発に乗り、奥多摩駅から鴨沢西行きのバスに乗り終点からお祭り〜親川へと歩き山道へ。丹波行きは本数が少ないので、こうして歩いている人は多いみたい。2月に行ったときは雪もあって全然違う方向に行ってしまった丹波天平(たばてんぺい)、通称デンデーロ尾根に向かう。なんのことは無い、登山口からしばし歩いて現れる廃屋となっている民家の敷地の中に入るように上がっていき、横を通っていく。なんでこの前わからんかったのか。そこからしばし山道の様子を歩き、また集落跡地が現れたらそこから左に、比較的急な坂を登っていく。荒れた感じもあるが、赤やピンクのテープもあるのでわかりやすい。登りもしばしのこと、徐々に平坦な道になり、緩やかに上がりながら新緑は美しく清々しい。おそらくこの先が丹波天平なのだろうと思いつつも、もう充分に心地よい場所である。道に割れたビンのカケラがよく落ちているのは多少困ったものだなぁ。天気は基本的に良いのだが雲が多く、時折陽が射すと葉はいっせいに自慢気な萌黄色を醸し出す。


すっかり緑におおわれてます。


親川バス停のちょい手前から。


左から上がってきて、矢印を上がっていく。


気持ちいい。


新緑。



まさにHikeだなぁと思いながら歩けば、視界がさらに開け一層広々としたところに出て、丹波天平の標識が見えてくる。大きな木の下で昼食を取っている登山者が、実に気持ちよさそうだった。ちょうど陽も差してきて、楽園というか極楽と言うか。ゴロリと横になったが文句無し。もうこれでいいや、この先サヲウラ峠まで行ったら丹波へ降りてのめこいの湯ってのに行ってみよう。特に眠気はなかったが、前夜は布団に入っても眠れず、睡眠時間3時間もなかったが30分位ウトウトできただけであったせいか、どうも身体に重さもある。いつどこで降りようか、その理由をどこで見つけるか、そんなことをどこかで考えてもいたような。とは言え平日だが登山者はそれなりにいて、道すがら話しかけれたり話しかけたりしながら、気持ちよさを満喫しながらサヲウラ峠に到着。さてここで丹波山村に降りるか、先に進むか。それは要するに日帰りか夜営をするかということでもあるわけだが、神社を拝み、雲の多くなってきた空を見ながら休憩。どーすっかなぁ。そこへ、飛竜方面からひとり降りてきた。雲取山荘から歩いてきたと言うので、道やらどうですかと尋ねたら前飛竜のあたりは岩場もあってちょっとキツイかも、でもこちらからなら登りだからまだ良いでしょうとのこと。進もうかどうしようかな〜と思いながらコインを投げてみる。オモテなら進む。ウラなら降りる。ポーン。ウラ...。あちゃー。話をしていた人もそれを見て笑いながら「途中まで行ってみて、帰ってきたら良いのでは」などと話す。歓談後、もう一度投げてみる。ポーン。ウラ...。ここで納得しなわけなのだから、要するに行く気満々なわけだ自分。なにかしら進む理由がひとつ欲しいだけなのだ。


丹波天平に到着



広々。



写真じゃ伝わらないなぁ。


サヲウラ峠。ここでしばし悩みつつ下山されてきた方と歓談。



しかしここからミサカ尾根を進み前飛竜に近づくあたりがキツかった。一般的な登山道として厳しいというより、とにかく登りがしんどい。ゼーゼーハーハーの繰り返し。時間にしても大したこと無いのだが、とにかく戻って温泉でも入りたい自分と、先に進まにゃ面白くなかんべ!という自分が、隙を見て現れる。話に聞いていた前飛竜の手前の急登が終わり、前飛竜からの眺めはとても気持ちよかった。山登りは、景色がダイナミックに動くとそれだけでモチベーションが上がるが、視界の開けない状態が続くとどうにもつまらないときがある。ここまでくれば、あとは飛竜山頂手前の分岐まで40分程度。と思ったがなんだかせっかく登ったのに下がる下がる。おいおいもったいねぇじゃんかよー。もう実にショボイ台詞ばかりが口から出てくる。それにしてもへばってきた。歩くのがシンドい。気がつけば空気は冷たくなってきており雲も多くなってきている。笠取方面に行って小屋まで行こうかなど考えるが、どうにもうまくない。分岐点にそれらしき跡がありそこに野営をと考えるが、それならば山頂まで行こうと考える。良いのか悪いのかわからん。しかしまたそこからが長く感じた。山頂まであと少し、そう思いながら歩くとなかなか遠いものだ。相変わらずグダグダ考えながら、そしてゼーゼーハーハーいいながら。


しかしやはり登ってしまうのだった


前飛竜の手前はこんなとこばっか。登りでまだ良かったかも。


前飛竜からの眺め。気持ちいい。


飛竜へ向かう。雰囲気出てくるなぁ。


分岐点。結構冷えてきて曇ってきてテンション下がる。


大洞山(飛竜)山頂へ。道はこんな感じ。


少し開けてきて...


飛竜山山頂。



もう動けん...なんでこんなにへばってるんだろうと考えながら、時間もヤヴァくなってきたので、場所を見つけ山の神様に一礼して行き倒れ。自作ポールに金具を付け、ツェルトは半開で。今まで、大抵閉じて寝ていたが、Tarpで寝る人々の話しを聞くにつれ、そして床に敷いたリフレクティクス&部分的にリッジレストとアドレナリン0(シュラフ)は暑すぎるくらいだったので、ほぼ開けたまま、明け方に風が出て少し閉めたくらいで眠る。ツェルトやテントは、閉じていると物音がする度に「外に何かいる?」と気になるが、不思議なことに開けてしまうと却って安心できる。目隠しをすればするほど脳は動けなくなり、意識があれこれ妄想を始めるのではないか。上半身にダウンを着てシュラフから出て、腕を枕に空を見上げながら寝ると、あれこれ湧いてくる考え事と星空の景色が夢と現実とゴチャゴチャになってきて、ふとしたときに求めていたなにかの答えが出るようでもあり、妄想的瞑想のようでもある。3時過ぎにはボンヤリと明るくなりはじめ、4時には鳥もチュンチュンいっていたように思う。あぁもう朝が来るのだと思うと、多少安心するのだろうかまた眠ってしまったが、アラームをセットしたiPhoneの妙なマリンバ音で叩き起こされる。味噌汁、パン、珈琲をたっぷり。暖かく寝たので体調も良いし、なにより頭もスッキリ。6時前には歩き始めたが、もう充分に明るかった。雲取山方面へズンズン歩く。道は整備されているし、南側にひらけた山々を眺めながら、そしてグングンのぼっていくお天道様と気温を感じながら。


ツェルト半開にて。リフレクティクスは軽くて暖かく便利だった。腰と背中にはリッジレストも使ったけど。


まずは狼平へ。


南側に開けていて明るい。


歩きやすい。


数年前に補修されたらしくしっかりしている



そういえば今回は、よく地図を見ながら歩いた。そして休憩もなるべく取った。先ばかり急いでしまうのは性分とは言え人生全般自分のみっともないところではある。すると、今まで以上に山が見えてきた。尾根を見ながらどう歩いてきたのか、これからどう歩くのか。見えてきた、というと通ぶっているようでアレだが、やっと少し目が開いた程度ではあろう。何事も、ちょっとなにか感じると大袈裟なのだこの男は。と、これはこうして文章を書いている時に思うことであって、山の中では、あれが昨日の尾根か〜程度である。北天のタル〜三ツ山を過ぎると、なにやら気持の良い道になってきた。もうすぐ狼平なのだろうと嬉しくなってきたが、なんだか結構どんどん下がっているのが合点が行かない。別に山は俺の都合で存在しているわけではないが、ここで下ればあとでまた登らなきゃいかんのはコッチなのだ、と心の折れた者の屁理屈ばかり。そうこうしているうちに狼平到着。デンデーロと狼平は行ってみたかったところだったので嬉しい。そして気持ちいい。それほど広くも無いが高原のようである。ここで大休憩。しかし問題は...水が無い。あと300mlくらいになってしまった。狼平で珈琲をと思っていたが我慢して、草花の朝露を舐めてみたり(笑)


歩いてきた尾根を眺める


なだらかになってきた


気持ちイイけど、あんまり下って欲しくない...


狼平到着。ここか〜。


いんや~気持ちいい。



要するに今回はやせ我慢ばかりだったのだ。狼平からは、三条の湯方面に行き、そこからまた丹波天平〜丹波と考えていた。もう一度あの気持ちよさを、そしてのめこいの湯でノンビリしようと前の晩に考えていた。狼平を抜けて三条ダルミへ向かうと、三条の湯からの道は並行している部分が長く、すぐ下に登山道見える箇所もあり、実際に歩かれた跡もあった。ここを降りていけば短縮できる。しかし、3月に雪の中で眠った三条ダルミになぜだか行きたかった。まぁ時間もそれほどカツカツではないはず...。グングン歩いて、ようやく三条ダルミ。しかしここで、ちょっと時間の計算を間違えていた自分を発見。今から丹波方面に行くと、ちょっとカツカツだ。バスの本数も少ないし...。しかも早く水飲みたい。一方、ここから雲取山に登ってそこから石尾根を降りれば、鴨沢までは多少慣れた道である。しかし、喉からからでこれまた登るのか...。なにがどうなったのかよくわからないが、ここでもまたやせ我慢だ。膝をポンと打って登り始めている自分。10分も登るとゼーゼーハーハー。コースタイムで40分の登り。結局30分かからず登ったものの、苦しくてたまらん。なんだこりゃ。それにしても周りにだれもいなくてよかった。あんなにゼーゼー言うなら登んなよくらいな。雲取山の頂上ではオジサンがカップ焼きそばを食べていた。南アルプス方面に北岳を見たら、喉の渇きが止まった。やっぱり山では景色が最高のご馳走なのかもしれない。自分の登った山はもっとカッチョ良く見えようになる、なんてことを漫画「岳」の三歩が言っていたように思うがそのとおりだなと思う。朝から歩いてきた飛竜の眺めにも愛着が湧く。なるほど山登りってこういうことなのかもしれない。


三条ダルミ


雲取山頂


手前は歩いてきた飛竜からの流れと、向こう側に南アルプス



さてあとは降りるだけ。奥多摩小屋の水場でガブガブ飲んで顔も洗って、せっかくなのでラーメン作って珈琲のんで。足の爪が伸びていたのでナイフで削ったりして随分長い休憩。七ツ石山手前の分岐を経て、あとはひたすら降りる。降りるほどに新緑が増え、気温もグングン上がり、夏のような景色。鴨沢バス停には1時間以上前に着いたが、バス停近くの酒屋が休みでガッカリ。奥多摩駅についてみると、駅前の店も早仕舞い。最後の最後までやせ我慢かなと思いつつも無事に勝ものは無しと、生を頼むとア◯ヒが出てくる店で、キリンラガー大瓶をグビグビと。


あとは降りるばかりなり


段々暑くなってきた。


奥多摩小屋の水場。ありがたや。


七ツ石山の手間の分岐。どんどん降りる。


新緑イェイ!


夏みたい。山っていいなぁ。


オッサン。


夏ですか!?


あーうまい。



山には何があるのか。おそらく山があるだけなんだろう。それはなんだかわからないし、これからさらにわからなくなるんだろう。動かぬものがそこにあるということかもしれないし、単純に自分じゃどうしようもならないものと対峙してみたいのかもしれない。頂上に着くと嬉しいしそれまでの辛さが吹き飛ぶのも事実だが、だからといって制覇とも思わない。電車に乗ってバスに乗ってようやく登山口に着いて、そこから歩く。30代の頃、近所の買い物すら車を使っていた自分からは想像もつかないことだが、あの頃「でもやはり何か違う気がする」と思っていたものは、山を歩くようになって「こっちのほうが良いわな」と思う。「もう動けない〜」と何度も思いながら、それでも次の日には強烈な筋肉痛を感じながらもなにか嬉しさとともに次はどこに行こうかな〜と感じているわけで、その理由はわからないままで全く構わない。わからないことはわからないで良い、という気持ちになれることは、自分にとって今のところ、音楽と山登りかもしれない。わからないけど楽しい。わからないけど恐い。そもそもわかるなんてことはイメージ操作なのかもしれないし、わからない状態で動くことの中で鍛えられる「何か」を体感することが無くなると、脳は働かなくなるのかもしれない。脳が働くためには目隠しをしてはいけない。安全な道で、わかりきった結果を得ようとするのは、もはや意識の奴隷なのかもしれない。脳が働く状態、というキーワードが自分の中で少しつながってきた。話は飛ぶが、オタク=意識、専門家=脳。揶揄ではなく、座禅や修行というようなものもそういうところにあるのもしれない。

( 2010/05/18 )